武士の一分(いちぶん)
2006年12月12日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて
(2006年:日本:121分:監督 山田洋次)
『たそがれ清兵衛』『隠し剣、鬼の爪』に続く、原作 藤沢周平、監督 山田洋次映画第3弾。
3作に共通しているのは、時代劇といっても昔の時代劇のような派手な殺陣やチャンバラはなく、あくまでも下級武士の生活をメインにもってきて、丁寧にじっくり描く、というもの。
だから、時代劇であっても、内容的には、恋愛ものか、家族愛ものか・・・で、私がジャンル分けするとしたら、この映画は、「家族もの」です。
主役が木村拓哉にした、というのが話題ですけれども、テレビドラマが多かった木村拓哉のイメージを一新するような、作り込み方です。
木村拓哉アイドル映画ではないですね。カッコイイ=木村拓哉、だったらテレビドラマと変わらないというか。
私が良かったのは、やはり過去2作と同じ、昔はどんな生活をしていたのか・・・というのが丁寧に描写されていることです。
特に、この映画の主役、三村新之丞の仲間(ちゅうげん・中間とも書きますが、武士の家の召使い)の徳平(笹野高史)が、影でいつも生活を支えているいう所が多かったことです。
徳平は、いつも薪を絶やさないようにしている・・・薪というのは、食事、風呂・・・毎日の生活には欠かせないもので、だから徳平が薪を集めるシーンがたくさん出てきます。
そして、三村新之丞のお役目、とは、藩主の食事の毒味役である・・・という設定。
お城の厨房の様子、毒味役の様子など、今まで時代劇では無視されてきたような所を丁寧に出します。
だから、カッコイイ木村拓哉の爽快な時代劇ではないのです。
毒味役というのは、ひたすらかしこまってお膳を一口いただくだけ・・・そんなお役目がむなしい・・・と妻の加代にぽつりともらす。
新之丞は、無口で、おしゃべりな人は苦手なタイプで真面目で誠実な下級武士。
あまり野心や立身出世への固執はない、という地道な(地味な)人柄。
そんな時、毒味した食事にあたって、倒れ、視力を失ってしまう。
ここから、目が見えなくなる人の心の葛藤もの・・・になってくるのですが、やはり武士として目が見えなければ何もできない・・・という失望が大きい。
そんな失意の人を助けるのは誰か?武士としてどう生きるのか?それは大きなことではなくて、「武士の一分」という言い方で表現されています。武士として最低限の誇りを守る。
結構、この映画は守りの映画。攻めていく映画ではない。戦いの映画ではなく、守っていく映画です。
私は、やはり笹野高史演じる徳平の力って偉大だと思いますね。徳平いなければ、新之丞は生きていけない。
武士が、武士が・・・といっていても、生活をしていかなければならない。皆が皆、殿様ではないのです。殿様を支える武士がいてこその殿様なのだ、武士を支えるのは家族であり、また、その下の身分の者だというというのは今も変わらないことかな、なんて思いました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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