リトル・ミス・サンシャイン
Little Miss Sunshine
2006年12月13日 サイエンスホールにて(試写会)
(2006年:アメリカ:101分:監督 ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス)
今年の映画の中で、ダークホース的なアメリカインディペンデント映画。
面白いものは、金がかかっていなくても面白い映画ができるという証明みたいな映画です。
バラバラ家族のドタバタ道中。アリゾナからカルフォルニアへ・・・黄色いポンコツフォルクス・ワーゲン・ミニバスでのゴロゴロ道中。
バラバラな家族といってもよくありがちな離婚問題ではありません。
フーヴァー一家は、皆、向いているベクトルが違うのです。
この映画でよく出てくる言葉はWinnerかLoserか、ということ。
勝ち馬になるか、負け犬になるか?
勝ち馬になるってどういうことですか?というのがこの映画のひとつの筋ではあるのですけれど、一家の父(グレッグ・キニア)は、自ら考え出した9段階のプログラムを提唱し、とにかく「負けは認めない」・・・といいますが、なんだか空回り。
娘の9歳のオリーブ(アビゲイル・ブレスリン)は、ビューティ・コンテストに夢中。小太りでメガネの普通の子ですけれど、一生懸命ダンスの練習などしてビューティ・コンテストにそなえている。
息子15歳、ドウェイン(ポール・ダノ)は反抗期なのか、ニーチェに心酔し、誰とも口をきかない。何かあればメモに書く。いわく'I hate everyone!'(皆、大嫌いだっ!)
グランパ(アラン・アーキン)は、勝つも負けるも関係ないやっとひたすら元気な不良老人。孫のオリーブはグランパ大好き。
そんな家族をとにかくまとめるのに必死な母(トニ・コレット)
映画は、自殺未遂をした母の兄フランク(スティーブ・カレル)を、家にひきとることから始まります。
ただでさえ、なんだかバラバラなのに厄介な伯父さんまで入ってきてしまって・・・・もう、家族は騒がしい、騒がしい。
皆、自分の言う事は正しい、と主張しあっているようなもの。それが、ずれていて可笑しい。
そこへオリーブが美少女コンテストの決勝に出られる事になったという吉報が、映画の曲がり角でここから映画が走り出します。
皆、それぞれ反目しているような、口論しているような、でも家族だから置いておくわけにはいかない、と皆が出発。
ロードムービーの面白さ、というのは、どんどん風景が変わっていき、狭い所に閉じこめられた人間たちがどう変わっていくか、なのですが、この辺の呼吸のタイミングの絶妙さ。
皮肉満載なくせに、嫌味や痛みという所は上手くかわしている脚本。
ハプニングの連続に、どうでもいい人がつっこみあう騒がしさ。そこに車の壊れたクラクションがぶばーぶばーと鳴り、さらにそこに音楽がかぶるという所は笑ってしまいました。
車はギアが壊れ、押して発車、そうしたら走って飛び乗るのだ!というシーンのスリリングさ。
勝つも負けるも、どうでもいいことだーーと勝手放題にしているグランパ、元気。オリーブがよくなつくのもわかる、妙な明るさがあります。
うじうじ、ぐだぐだと勝つ負けるを言い続ける父、立場あやうし。
しらけて、自分の事しか考えない15歳。
まだまだ、幼くて可愛らしい9歳。しかし、このぽっちゃりちゃんでコンテストは如何に?
ひたすら失意のどん底の立ち止まって動けない中年男。
間を埋めようとする母、エネルギーがなくなりそう。
そんな人々を決して、後ろ向きではなく前向きにとらえているけろっとした明るさが全編を貫いています。
家族ひとりひとりが個性的で、個性的だからこそ、口論絶えず、ガタガタしてる。役者さんが子役を含めて、本当に個性的。
個性肯定映画で、個を殺して和を守る・・・のような縛られた空気がない。
個性的でオッケー、何が悪いの?という自由な空気があります。だからこそ、の家族バラバラで崩壊ではないですね。
しかし、何故、皆が車に乗っているの?そう、オリーブが優勝・・・Winnerにならなければ、なのです。
旅の途中で、オリーブがグランパに「私って可愛い?」と不安げに聞くと「おう、可愛いさ。外見だけじゃなくて、中身も美人だ」と即答するグランパの言葉にこの映画のヒントが入ってます。
今年の東京国際映画祭でこの映画は、監督賞、主演女優賞、観客賞を受賞しました。
主演女優賞は、史上最年少で、10歳のオリーブを演じたアビゲイル・ブレスリンちゃんです。
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2009年1月23日 DVDにて
なにがきっかけかわからないのですが、時々、ふ、と観たくなる映画があります。
この映画はそんな映画。
本も映画も、観終わった後、さっぱり忘れてしまうものが多いなかで、ココロにひっかかる映画というのもあります。
なによりもこの映画はわたしにとって、とても大事な映画。
特撮もない、有名スターが出ているわけでない、お金がかかっているわけでもない・・・でも、我がココロの映画。
でてくる家族たちが、本当にくっきりと描き分けられていて、ある意味、脇役のいない映画。みんなが主役。
そんな配慮もいいし、この映画が描こうとしているもの・・・家族愛とかそんなものではなくて、人間肯定ということですね。
どんなことがあっても、この映画は人間肯定している。
それがいやらしくなく、ほほえましく、実にテキパキと描かれていることにあらためて感心。
ビデオやDVDがなくて、名画座か、カットだらけのテレビに頼るしかなかった昔からすれば、ちょっと観たくなって、すぐ観られるなんて、なんてシアワセなことでしょう。
それに気がつかない、または、勘違いしている人が多すぎる。この映画は、そんな慣れきってしまった便利さ・・・をあえて描いていない、ということにも気がつきました。
なんとも不便で、不器用な、遠周りのおかしさを描きだしている映画です。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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