パプリカ
2006年12月5日 テアトル新宿にて
(2007年:日本:90分:監督 今敏)
『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』と私は今敏監督のアニメが好きです。
それは、アニメ=子供むけといった一般的なイメージをくつがえす、大人でないとわからないものをあえてアニメーションにする、という姿勢が好きなんです。
アニメだから子供に見せても大丈夫、はこの『パプリカ』には通用しません。
原作は筒井康隆。
「夢」のセラピストである千葉敦子は、セラピーを行う時、パプリカという一見かわいい少女風の女の子に変身する。
そして、普段は研究所の研究員の敦子ですが、そこで「DCミニ」という頭に簡単に装着するだけで、他人の夢を共用し、忍び込むことのできる開発中の機器が、盗まれたことから映画は始まります。
人の夢を操作する、人の夢が自分の中に入りこんでくる・・・狂気の夢が現実となって現実社会を破壊する可能性まで出てくる、使い方によっては大変危険なDCミニ。
敦子は、パプリカとなって盗まれたDCミニを取り返しに行く。誰が盗んだのか。そしてその裏にある陰謀・・・と書くと理路整然としすぎてしまうのですが、映像は、いびつなゆがんだ夢が何重にも重なり、とても緻密に考えられた話の展開とそれを追う、敦子とパプリカは、くるくると姿を変え、パプリカはもう敦子ではなく、ひとつの人格を持った人物のようです。
映画のスクリーンに、街の広告写真に、テレビの画面に・・・パプリカは飛び込んでいき、どこが夢だか、誰の夢だか、どんどんわからなくなる。夢のセラピーを受けた刑事もそれに巻き込まれる。
コケティッシュなパプリカと、冷徹な敦子。
相反するキャラクターが表となり裏となり、また裏となり表となり・・・そして、悪夢の人形から機械から、ポストからなにからなにまでが狂乱のパレードを始め、街を破壊していく。
観ていて、あれあれ・・・と自分が夢を見ているようでいて、それは他人の夢で、邪悪な夢で悪夢で・・・と「夢」づくし。
そんな中を、孫悟空、ティンカーベル、人魚、ピノキオ・・・と美少女パプリカは姿を変えて、自在に飛び回る。
このパプリカという少女の自由さと、妙に閉塞的な悪夢の世界の合体・・・というのは、アニメでしかできない技を惜しげもなく投入している・・・という贅沢感と、翻弄されてしまう自分への困惑と・・・作り上げるならばここまで作り上げれば大したもの。
多分、一回観ただけでは、細かい凝り方までわからないと思います。
善と悪といった二極化から遠く離れたごちゃごちゃの世界。それは、子供の見る夢ではなく、複雑怪奇になってしまった大人の悪夢です。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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