待合室 -Notebook of Life-
2006年12月5日 渋谷 ユーロスペースにて
(2006年:日本:107分:監督 板倉真琴)
人を励ますというのは難しい、と思います。
「頑張って」という言葉が時に逆効果になってしまう事もあるし、過去、色々な場で色々な励ましを受けてもどうも素直に希望が持てなくて逆に傷ついて悩んだ経験がある私は、安直に人を励ますということにためらいを感じてしまうことがあります。
「足を踏まれた人にしか、踏まれた痛さはわからない」
本当に傷ついたり、苦しんだりしている人の「痛み」を共有することは、事実上不可能だと思います。
しかし、その言い方やタイミングによっては、目から鱗、いや、耳から鱗が落ちたような心持になった事もあります。
そうそう、そうだよね・・・・と、今、ネットで掲示板やブログのコメントのやりとりというのが、たくさんありますけれど、私は気の利いた、上手いコメントが書けないなぁ、といつも思います。
また、映画を一本語るにしても、どうにも上手く書けない事の方が多いのです。
この映画は、岩手県の小繋(こつなぎ)駅の待合室にいつからか置かれた、誰でも書けるノートにひとつひとつ返事を書いている「おばちゃん」と呼ばれる人の新聞記事を知った監督が取材を重ね映画化したものです。
どんどん過疎化が進んで、冬は雪に閉ざされてしまう岩手県の小繋駅。その前にある売店を今はひとりで切り盛りしている和代という初老の女性(富司純子)。待合室のノートは「命のノート」という名になり、おばちゃんは、ひとつひとつの書き込みに丁寧に返事を書き、1000人以上の旅人が書込んだノートがあります。
しかし、ノートに書かれているのは、良い事よりも、通りすがりの人の苦しみを吐露したような本音が多い。
その返事が読まれるとは限らないのに、おばちゃんは、素朴な励ましの言葉を書き続けている。
「生きていれば必ずいいことがありますから」「頑張ってください」「絶望のとなりには希望があるといいます、頑張ってください」
決してそれは、気の利いた即効性のある励ましではなく、むしろ、「綺麗事」に近いような気もします。
高校生の女の子、狭い小繋から、出たいと悩んでいる晶子という女の子は、「そんな簡単にいくわけない」といった疑問を書く。
そしておばちゃんの若い頃の回想になり、その娘時代を実娘の寺島しのぶが演じています。
昭和39年。まだまだ村に活気があったころ遠野から小繋の商店に嫁いできた和代。
夫(ダンカン)は、素朴で真面目が取り柄なだけの人で、村の人には「力があるから、雪かきには便利だがな・・・」なんて言われても黙って黙々と仕事をするような人です。
しかし夫はもとは小学校の先生で、辞めて家業を継いだ後も生徒から、相談の手紙がたくさん来ていて、それにひとつひとつ丁寧に返事を書いていることを和代は知っている。
この夫役のダンカンがよかったですね。確かに楽しい愉快な人ではないけれど、無口で朴訥でこつこつと真面目。
しかし、娘を幼くしてなくし、夫にも先立たれ、村はさびれていく。決して、楽しいことばかりの人生ではなかった、とわかるのですが、家族の死に泣き叫んだりといったシーンはあえて飛ばしています。
富司純子が、弱音を吐かず、困った人を助け、つたないながらも励ましの言葉を書き続ける・・・そういう事が出来るには、やはり過去色々あったからの事で、「気の利いたことを書く」よりも「とにかく書き続ける」という事の大事さ、が若い女の子にはまだまだ理解できない。
自分にできる事は、とにかく書かれた事を読んで、それに何か書くことだ、という謙虚さがいいです。
もちろん、生活や時間に余裕があれば、ボランティアでも何でもいいのでしょうが、おばちゃんにできることは、「返事を書く」それだけです。
見返りを要求しないおばちゃん。今の時代は、「見返り」の時代だと思いました。何かをしたならそれ相応の見返りがなければ納得いかない。見返りがなければ最初からやらない、無視する。
映画ひとつとっても、「面白くなかった。金返せ」など不満を言ったり、書き連ねる人が後をたたない。
そんな風潮の中で、今でも、おばちゃんは待合室のノートに返事を書いているのでしょう。
素朴な映画だけれども、これは美談ですよと描かず、淡々とした寒さがびしびし伝わるような、雪の風景の中で、見返りを求めない無私の人の姿を映画にした、というのが、いいですね。
私のサイトは、一体誰が読むのか・・・と今も迷いながら拙い文章を書いている自分が、映画を見終わったあと、これでもいいかな、って、励まされたような気がしました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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