幸せのちから
The pursuit of Happyness
2007年2月7日 日比谷スカラ座にて
(2006年:アメリカ:120分:監督 ガブリエレ・ムッチーノ)
日本語タイトルは『幸せのちから』ですけれど、原題をちょっと注意してみると、pursuitは「追求」で、happyness は正確にはhappinessです。
しかし、この映画は、まさに'The pursuit of Happyness'なんだな、と観るとわかりますね。
勝ち組とかアメリカン・ドリームとか・・・簡単に言う言葉の前に私は「楽して」が隠されているような気がしてなりません。
楽して金持になりたい、成功したい・・・しかし、この映画は、楽して金持にはなれないのよ、ということを説教くさくなく映画にしている所がいいのです。
これは実話をもとにしたそうで、1980年代、タクシーにロバート・デ・ニーロの『レイジング・ブル』の宣伝がある・・・など時代を上手く出しているのです。またはルービック・キューブが大流行の時代でもありました。
骨密度を測る医療器具のセールスマンのクリス・ガードナー(ウィル・スミス)は、全財産なげうって機械を買ったのにさっぱり売れず・・・生活に困り、妻は出ていってしまう。5歳の息子(ウィル・スミスの実子)を抱え、とことん貧乏になりながらも、証券会社に職を得るまで、が映画です。医療機器だから、高価で一台売れれば一ヶ月は生活できる・・・しかし、売れなかったら?
証券会社ではすぐに採用はしてくれない。20人の研修生を半年間で無給で雇い、研修をさせながら電話セールスをさせ、半年後、試験とセールスの結果で1人だけが正社員として雇用されるという厳しさです。
ウィル・スミスは、猛勉強し、セールスも励みたい所、当面の生活費もなく、ホームレスとなってしまったり救済教会で毎晩の宿を列を作って並ぶ、そして生活費のために、在庫の骨密度の機械を売ってあるく・・・売ってあるくというより、ウィル・スミスはとにかく走るのです。
走る、走る、走る・・・もう、車にぶつかろうとも、地下鉄に手をはさまれようとも、とにかく猛ダッシュの連続をカメラがぐいぐいと追う所が迫力。
クリスは、かつて海軍にいた・・・というのがちらり、と出てくるのですが、とにかくその走り方に全てが出ているような走り方。
うとうとと昼寝をしていたら、木の株にウサギがころんと転ぶはずないのです。
働くって事は、このように全力で走るようなものなのだと思います。
大切なメシの種である、骨密度の機械をタイムマシーンだ・・・というホームレスの男が出てきますが、クリスにとってはこの機械は本当にタイムマシーンだったのかもしれません。
クリスの一番の一生懸命の動機は5歳の息子の存在。5歳というとまだまだ1人では何も出来ない、手のかかる年齢なのに・・・生活もままならない悔しさで、でも、あきらめず、勉強に、セールスに、育児に・・・奔走するのです。
決して、ドラッグや犯罪には手を出さず、一流の株の仲買人を目指すというのが嫌味でなく、真摯に見えるのは、ウィル・スミスの豊かな表情とあどけない息子の可愛らしさに、つい、ほろりとしちゃうからです。
常に前向きなクリスもさすがに気落ちして、悔し涙を流すとき、本当にどうにかならんか、と思ってしまうのですね。
この息子を演じたウィル・スミスの子供ってお人形みたいなのですが、お金持の家で、ゴールデンレトリバーが出てきたとき、「は。いぬ!」ってびっくり目をみはる所なんて本当に演技か?って思ってしまいました。
そして5歳という年齢はまだまだ、だまされてくれる、ギリギリの年齢なのかもしれません。
貧乏を描いても貧乏くさいというよりも、お金の重みというものをきちんと出している映画です。
働くというのは、金を得る事でもありますが、働いたからこそのお金の重み・・・証券会社のお偉いさんが、つい「小銭がないんだ、5ドル貸してくれないか?」と言われたときのクリスの顔。
たった5ドル・・・がどんなに大切か・・・そんなエピソードのはさみ方もとても気が利いていて、真面目でありながらも、貧乏くささや堅苦しさからは離れているというのがいいですね。
苦労して、金を得た人は、金の重みを知っているから、贅沢するといっても浪費でなく、本当の贅沢が出来るのだろう・・と思います。
ニキータ・ミハルコフ監督の映画『黒い瞳』のマルチェロ・マストロヤンニの役は、金持の女と結婚して、楽して金持になったはいいけれど、本当の贅沢が結局出来ず、浪費を繰り返すだけの哀しい貧乏人だった・・・のを思い出しました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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