長州ファイブ

長州ファイブ

2007年3月4日 シネマート六本木にて

(2006年:日本:119分:監督 五十嵐匠)

 五十嵐匠監督の過去の映画をみてみると、『地雷を踏んだらサヨウナラ』『HAZAN』『アダン』・・・と、戦場カメラマン、陶芸家、画家・・・・どれも世間の評判を気にすることなく、志の高い人物に迫る・・・というものが多いようです。

主人公たちには、迷いはない。

これが自分の道だ、と思った道を行く。

そういったひとりの人物に焦点をあてる。

 この映画の長州ファイブとは、日本に黒船が来て、開国か攘夷か・・・で日本がゆれている時、1863年、まだ日本は鎖国中であるにもかかわらず、長州藩から密航扱いでイギリスへ留学した20代の5人の若者のことです。

その中には、後に初代内閣総理大臣になった伊藤博文や、井上馨(外務大臣、のちに三井物産創立)などいるのですが、スポットがあたるのは、山尾庸三(松田龍平)です。後に東京大学工学部を設立する人です。

 3ヶ月もの船旅でやっと着いたロンドン。そこで、5人の若者は、それぞれ得意分野での文化の吸収に熱中する。

山尾庸三は、造船技術の習得にはげむ。

最初は一緒だった5人もバラバラになり、山尾は、ひとりグラスゴーへ行き、職人たちと混じって、造船を一から学ぶ。

帰国する者も出てくる中、山尾は、ひとり、日本へ造船技術を伝えるのだ・・・という筋を通して、5年の留学期間を全うする。

 わたしは、この映画の時代にはとてもうといのです。

映画の冒頭、いきなり生麦事件で始まったり、高杉晋作(寺島進)が、英国大使館を焼き討ちしたり、といったことが出てきますし、江戸から明治へ、その間にたくさんの人々が現われる・・・けれども映画は、山尾庸三というひとりの人物にしぼっています。

 描こうと思えば、幕末人物群像・・・新撰組だっていたわけだし・・・にでもなるのに、志高くイギリスで技術を学ぶひとりの若者の姿のみを追います。

有名な人物たちを、歴史通りに描くのではない映画だから、幕末の歴史にくわしくなくてもひとりの青年の物語としてすんなり映画に入っていけます。

 長州ファイブとなる5人の役者さんも松田龍平以外は知らないなあ、と思ったのですが、実際の5人の写真というのが出てきますが、これがそっくりなんです。

特に伊藤博文を演じた三浦アキフミなんて写真のご本人そっくり。

変に美化したりせず、本当にこういう人たちだったのだ、というこだわりがとても好きですね。

 しかし、1863年、ロンドンに渡った青年たちは、鉄道、造船、経済・・・様々な文明の進歩に驚くのですが、驚いたのは、1863年というのはわたしが生まれるたった100年前のことだった、ということです。

それでは、日本のこの140年の進化というのはものすごいものだ、と思います。

そういう国を作ったのが、長州ファイブの若者たちで、20代とはいえ、大人びています。もともとが長州藩の武士だから身分は高いのですが、その後の5人の活躍ぶりを見ると、なんて志の高い20代なのだろうと思います。

 5人が影響を受けた人は、吉田松陰なのですが、5人が渡英した時にはもう刑死しているわけですけれども、吉田松陰は私塾を開き、(黒船に密航しようとしてつかまった人でもあります)門下生には伊藤博文や高杉晋作がいました。

吉田松陰、刑死したとき、なんと29歳。

歴史にうといわたしは、吉田松陰というと、もっと年上のおじいさんといったイメージだったのですが、この映画のあと、幕末の年表など読んでいると、それまで封建制度の江戸時代を急激に変えたのは、吉田松陰だけでなく実はほとんどが若者だった、という事実。

 五十嵐匠監督は、観客を感動させたり、泣かしたりするよりも、揺らしたい、ということを話されています。

わたしもこの映画の後、幕末の年表などを調べて、驚いたり、自分の歴史の無知を恥じたりして、多いに揺れました。

 イギリスやハンガリーでセットを組んでロケしていたり、映画としても大作に近いし、このような志の高い映画は、単館でなく多くの観客に観てもらいたいなんて、わたしはプロデューサーか?という気分になりました。

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