孔雀 我が家の風景

孔雀 我が家の風景

PEACOCK

2007年3月10日 渋谷 Q-AXシネマにて

(2005年:中国:142分:監督 クー・チャンウェイ)

第55回ベルリン国際映画祭 審査員特別賞・銀熊賞受賞

 最近、わたしは、ソツなく起承転結わかりよくまとまった映画よりも、虫眼鏡で小さいものをじいっと見ているような、凝視しているような、余計なものはなくして、筋をすっきりみせる映画を好むようです。

 この映画の筋はひとつだけ。それは「家族」

家族映画の秀作といっても過言ではないかと思います。

カメラは、家族のいる田舎の村を一歩も出ない。

家を出て行った子供たちが外で何をしたのか、手を広げようとしない。カメラはいつも「家族」を映しているという、家族映画なのでした。

 1970年代終りの文革が終わった中国の村。

そこで暮らすある一家。

両親、少し知恵遅れで肥満の長男、わがままなような気の強いような自由に憧れる長女、やせていて線の細い影の薄い次男。

両親は、長男をとにかく不憫がって可愛がっている。

長女と次男は、なんとなく抑圧されたような生活を送っていて、家から出たい、と思うし、長兄を時にはうとましく思う。

それでも、家族はベランダで食卓を囲む。和やかというよりこれが、この家族というものなのだ、というのを食事のシーンで描いています。

 映画は、長女、長男、次男の順で、オムニバスのようにその人生を描いていきます。

ビン洗いの仕事をしていて、不満。「いい仕事だから」と保育所の仕事をやらされても、やる気のない長女。

野原で出合った落下傘部隊に、憧れて・・・家を出たいあまりに志願するけれども、失格。

長女はどこで手に入れたか、水色の布で落下傘を作り、自転車につけて乗り回す・・・けれども母親に見つかり叱られるだけ。

唐突に結婚するわ、と家を出てしまう。

 知恵遅れのため、外での仕事がままならず、とにかくいじめられている長兄。

妹と弟に、時々無神経なことをするけれど、無害な無垢な面を持つ。

しかし、結婚となると・・・・

 次男は高校生。家が息苦しくて、でもおとなしいから何も言えなくて、姉に使い走りをやらされたり、長兄のことで学校の友人からからかわれ、ますます家が嫌になる。とうとう家出。

 この3人は仲が良い悪いのひとこと、ではいえない仲。それが家族。息苦しくもあり、憎たらしくもあり、時には許し合い、助け合う。

 風景は文革の後、ということは描かず、風景が美しく映されるだけ。

静かだけれども、退屈な村。開放的とは言えない家族生活。そんなものをじっくりと、透明感ある映像で紡ぎ出しています。

 3人はそれぞれの道を選ぶけれど、それがしあわせでした、とも不幸でした、とも言えない人生。

そんな3人が、訪れる動物園にいる孔雀。

孔雀の方からカメラは檻の外に次々と見物する兄弟たちを映す。

「羽根ひろげてよ・・・」とそれぞれが言うけれど・・孔雀は全く羽根を広げない。

 落下傘を作って孔雀のように走った長女。安定した生活を手に入れた長兄。家族の抑圧の犠牲になってしまったような次男。

それぞれが、それなりに新たな家族を作って、暮らしていく。

これが、幸せ、これが不幸せ・・・そんなもので生活は語れない・・・そんな曖昧な幸せと曖昧な不幸せを体現している3人。

家族とは、こうあるべき、という「べき」が全くない家族映画。家族というのは家族ひとりだけの思うようにはならないものなんですね。

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