絶対の愛
TIME
2007年3月10日 渋谷 ユーロスペースにて
(2006年:韓国:98分:監督 キム・ギドク)
この映画の後、キム・ギドク監督は韓国映画界からの引退宣言をしました。
真意のほどはわかりませんが、海外での評価が高いのに、何かと批判の標的にされ、賛否両論の嵐に巻き込まれてきたキム・ギドク監督。
確かに過激な描写や、狂気を描いた部分もありますが、その映像美学を「映画的」と言わずして、ただただ「話」だけを追いかけ回す人たちからはもう離れた方がいいと思います。
今は中国の俳優さんを使って、映画を撮っているということで、韓国というくくりに縛られず、映画という世界で活躍して欲しいものです。
この映画は、過去の映画に見られたような宗教的だったり、神話的なものはなく、とてもストレートな映画だと思いました。
倦怠期、というのがありますが、恋人も時間がたてば、自分に飽きてしまう、自分の顔に飽きてしまう、他の女に目移りするんでしょう!といきなり「思いこみ」を炸裂させる女性、セナ。
セナは、突然恋人の前から姿を消す。整形手術を受けて、新しい顔、より綺麗な顔になれば、また新しい恋人関係を築けるのだ、という思いこみの激しさが怖い。
普通だったら、性格の不一致とか・・・精神的なことも考えるはずなのだけれども、セナにあるのは「外見」だけです。
だから、自分から歩み寄ろうとはせず、外見を変えれば全てが変わる・・・でも、整形手術というのは、完全になるまで6ヶ月かかる、という。
6ヶ月の時間を、戸惑いで過ごした恋人は、あきらめようか、いや、まだ、あきらめきれない・・・と不安だらけの生活をおくることになる。
そこに整形手術が完成したセナがシェナと名乗って現われる。
しかし、恋人はセナが恋しいのだ・・・と知ったとたん、以前の自分に猛烈に嫉妬するのです。
怖いですねぇ。
シェナに惹かれていくけれどもやはりセナが好きなんだ、という男性との歪んだ恋愛関係。
この映画には何度も同じ所が出てきます。
それが、喫茶店と彫刻公園という海辺にオブジェが並んでいる公園。
かつて2人で楽しげに写真を撮った彫刻公園。2人の待ち合わせに使っていた喫茶店。
しかし、シェナになったとたん、喫茶店も彫刻公園ももの寂しいものになる。
楽しかった時間はもう永遠に去ってしまったかのようです。
セナをただの物知らずのわがまま女、と決めつけられればいいのでしょうが、女性はやはり「外見」を気にする。
だから化粧をしたり、整形をしたり・・・もっともっと自分が美人だったら・・・と思う女性は多いはず。
セナはその思いを、クローズアップさせた女の形をした「思い」ですね。
しかし、セナを待ち受けているのはもっと過酷な仕打ち。
どんどん、顔がわからなくなり、誰が誰だかわからなくなり、自分がわからなくなり、狂気の淵でふらふらする。
遠浅の海にオブジェがあり、潮が満ちてもそこから動けないセナ。
外見なんて・・・というのは建前で、顔というのは大事だと思います。
美人か、ハンサムか、というより、その人なりの顔というのがあって、表情というものもとても大事だと思います。
幅広い豊かなものを、ねじまげて、決めつけてしまう狭量さを整形、という形で現わしているような気がします。
そう思うとこの映画はとっても皮肉と風刺に満ちた怖い映画です。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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