こころ

こころ

2007年3月15日 京橋 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(シリーズ・日本の撮影監督(2)

(1955年:日本:121分:監督 市川崑)

 夏目漱石の原作のとても忠実な映画化でした。

今はどうかわかりませんが、わたしが高校生くらいのころというのは、現代国語に夏目漱石は載っていたと思います。

『こころ』『それから』『門』これが三部作のようになっていますが、わたしの高校で使っていた教科書で採用されていたのは、夏目漱石でも『私の個人主義』であり、夏休みに読書感想文を書くように言われたのは、『門』でした。

最後の『門』を読むために、『こころ』『それから』を読むように、仕向けたのではないかなぁ・・・先生。

 しかし、高校生のわたしは、SFやファンタジーやミステリを読んでいて、夏目漱石は「わからなかった」のに、無理してあれこれ書け、と言われたのが苦痛に思えました。

 しかし、30歳をすぎて、ふと手にした『草枕』・・・そこからが、わたしの夏目漱石体験となります。

とても繊細というのが、わたしの印象です。

 この映画は原作に忠実ですから、映画全体に繊細な憂鬱が貫かれています。

先生を演じたのは、森雅之で、病的なほど繊細で知的で上品。

明治の時代の高等遊民を演じられる役者さんは、今はいないのではないかと思うくらい憂鬱感を漂わせています。

では、先生はなにがそんなに憂鬱なのか。世間に出るのを嫌うのか。折角、結婚した美しい妻、静(新珠三千代)にこころを開かないのか。

 妻である静には罪はないのですが、先生が変わってしまって、気鬱な人になってしまった理由がわからないというのもつらいもの。

そして、静をめぐるもう1人の人物が、先生の学生時代の友人、梶(三橋達也)

梶は人付き合いが苦手で、ストイックな真面目な学生。先生は無理矢理、自分の下宿に同居させる・・・しかし、美しい娘、静が、梶に興味を示しはじめたことに気がついてももう、遅い。

 映画はモノクロで、明治時代の日本家屋や、学生の服装などとてもくっきりとした明暗でもって映しています。

先生の家の障子に映る庭の竹の影。

暑い日、先生と梶が汗をかきながら房総を旅行するときの、太陽光線の明るさ。

反面、梶の伏し目がちな、影のある憂鬱な表情。

 あらすじだけ書いてしまったら、なんだそんなこと・・・と現代の人は思うかも知れませんが、こころの中の闇、人間の持つ感情のきめ細かさが映像としてしっかり映し出されています。

文学として、心象を読むように、映画は、光と影を使い分けて無言で語っているように思えました。

そしてこの物語は、明治の終焉の物語でもあったのだな、と改めて気がつきました。

わたしは、昭和の終焉、そして平成・・・となったときのことをふと、思い出しました。

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