ツィゴイネルワイゼン

ツィゴイネルワイゼン

2007年3月17日 京橋 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(シリーズ・日本の撮影監督(2)

(1980年:日本:145分:監督 鈴木清順)

 公開時、2回観て、その後名画座で何回か、ビデオも持っていますが、やはりスクリーンで観たい一本です。

 改めて観て、この映画の高級感にびっくりです。

メインの4人、藤田敏八、原田芳雄、大谷直子、大楠道代・・・の着ている服、着物の上品さと質感にびっくり。

こういうのはスクリーンでないとわからない細かいこだわり。

 衣装だけでなく全ての小物が高級感に満ちていて、あ、この食器は、この食べ物は、この回転式書棚は、このランプは・・・って全てがトータルとしての高級感を成り立たせるための完璧な小物。

わざとらしい出し方を一切していません。

あくまでも映画の中でさりげなく、惜しげもなく出てくるという大変贅沢な映画です。

 撮影監督は永塚一栄。

最晩年で『ツィゴイネルワイゼン』と『陽炎座』を撮影したというすごい人でした。

美術は、清順監督の共犯者、木村威夫。 撮影、永塚一栄、美術、木村威夫、監督、鈴木清順というのは日活時代のトリオなんですね。

 迫力のうなぎの蒲焼き、腐りかけた水蜜桃、まっ赤な椀がびっしり並んだテーブルで、鳥がついばむようにちょんちょんと食べる大楠道代の唇の赤さ、大谷直子が無言で手でちぎった、たくさんのこんにゃくの入ったすき焼き鍋・・・食べ物がたくさん出てくる映画でもあります。

 映画の途中で、「あそこにいる人たちは誰?」というシーンがあって、「あれは花火をみているのよ」というのがあり、映画の登場人物が全員そろっているところなど、ラストシーンにもってきてもいいような(普通だったらそうするかな?と)シーンなのですが、途中でちらりと見せるだけ。

 原作は内田百閒の短編『サラサーテの盤』ですけれども、サラサーテの演奏するツィゴイネルワイゼンのレコードに何か人の声が録音されている・・・それはサラサーテ自身がなにかを何か言ったのが録音されてしまったらしい・・・そして、主人公のもとへ、死んだ友人の妻が、本やレコードをお貸ししているはずですが・・・と夜な夜な現われる・・・というもの。

 この映画では、死んでしまったもの、病気で死にかけているものが出てきますが、一番、死の影を背負っているのは、最後まで生き残る青島(藤田敏八)で、顔に死相が出ているのが一番不気味。

そして、その妻、大楠道代が正反対に、いつも口紅をまっ赤に塗り、なにがあっても、くつくつと笑うだけで、しぶとい生を現わしているようです。

それに対して、二役を演じた大谷直子は、ほとんど口紅を塗らないけれど、なにか性的な赤い色を持っている。

そして血を流さずに死んだ者の骨は、焼かれた時に血を吸い込み、ほんのり紅い桜の花のような色をしているのだ、という台詞。

生としての赤、性としての赤、そして死をあらわす赤・・・赤の使い方がこれほど上手い映画は他にないくらいです。

 そしてこれは後の『陽炎座』などでも引き継がれることですが、同じ事の繰り返し、同じシーンが何度もあらわれる・・・というのが、幾重にも重なっていて、それは全く同じではなく、微妙に形を変えていくそのずらし方の上手さ。

 反=物語映画・・・と解説にありましたが、わかろうとして観る映画ではないのですね。

映像を浴びるような体験をするタイプの映画です。こういうのは、ひとりよがりになりがちなのですが、鈴木清順は、その本能的とも思えるバランス感覚と色彩感覚と編集の技を持っています。

何故・・・のない物語があってもいいではないですか。これだけ贅沢な映像を眼にすることが出来るのですから。

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