ナヴァラサ

ナヴァラサ

NAVARASA/Nine Emotions

2007年4月7日 渋谷 ユーロスペースにて

(2005年:インド:99分:監督 サントーシュ・シヴァン)

 この映画はひとことで言ってしまうと性同一障害もの、なのです。

しかし、色々な要素を多く含んだ映画でもあります。

まず、第一に全体的に真面目さとユーモア・・・可愛げが貫かれていることです。

映画は最初、インコが札をひいて占いをする・・・というシーンなのですが、何を占っているのかといえば、「まず、この映画のプロデューサーを占ってみよう」で、笑ってしまいました。

そして、「次は監督、そして編集者・・・そうだ、その上司の事も占わなければ・・・・」

 第二は、性というものをただものめずらしく描いているわけではない、ジェンダー映画である、ということです。

主人公は、13歳のシュエータというどちらかというと裕福な家のひとり娘です。

両親からかわいがられている、勝ち気で甘えっ子の様子がテキパキと描かれています。

隣の家の男の子は、何かというと本を持って「質問」に来る。

その質問というのは、ラブ・ストーリーを読んで「何故キスしたとたん、男の子がひっぱたかれるのだろうか?」といった、色気ついたことを無邪気に聞いてくる。

家には父の弟、ガウタム叔父がいますが、このガウタム叔父が、実は性同一障害なのですが普段は隠している。

何も知らない家族たち。

そんな時、シュエータが初潮をむかえ、家では「大人になったお祝い」を盛大にやるのですね。

南インドが舞台なのですが、もう、結婚式並のすごい祝宴をあげてしまう・・・・まだ、訳がわからず驚く隣の男の子、そして、密かにそんな姪の「女性しかできない儀式」を見つめるガウタム叔父。

シュエータといえば、あまり嬉しくもなんともない。そりゃ、そうでしょうね。でも周りの大人たちは結婚できる、といった事をにぎやかに言う。

それがガウタム叔父の心に傷をつけていることには何も気がつかずに・・・

 第三は、ドキュメンタリーとフィクションと神話伝説の融合または交差のさせ方の上手さです。

ガウタム叔父は突然失踪する。

年に一度、南インドのクーヴァガム村で30万人の人が集まるという女装フェスティバルに行くためで、映画のカメラが初めて入ったそうです。

映し出される様子やインタビューなどは俳優ではなく、本当に祭に来た人々です。

 この祭でガウタム叔父は「アラヴァンと結婚して未亡人になる」と事実を知ってしまったシュエータに話します。

ここで、アラヴァン神話というのが出てくるわけで、生け贄となったアラヴァンという青年は結婚を条件に生け贄になりますが、結婚した翌日にもう未亡人になってしまうという娘は誰もいない。

そこでクリシュナ神が「一晩だけ女になる」のです。

 その神話伝説をふまえて、集まった女装の男性たちは、はれやかな結婚式をあげて、翌日、白い衣で喪に服す。

叔父を家に連れ戻すために、少女シュエータは、親切で明るいゲイのボビー・ダーリンと知合い、一緒に探す。

シュエータは、女装や性同一障害といったものに対して、両親と同じく嫌悪しかみせませんが、だんだん、深く祭に関わっていくことで男性、女性だけでないサード・ジェンダーの事実にぶつかっていく、というストーリーが全く無理なく自然に描かれます。

 とても社会的だったり、センシティブな事を扱っているけれども、出てくる人々のリアルさ、そしてボビー・ダーリンの強さというものが浮き彫りになって、叔父の苦悩を理解する少女。

 インドにはヒジュラという女装芸人集団がいるそうですが、ヒジュラの国のアリスです。

フィリピン映画『マキシモは花ざかり』でも、中性的な人物はシャーマンキングとして神聖な存在でもあった、というフィリピンの伝統がベースにありましたが、インドにもクリシュナ神という存在があっても、現実としては、厳しい目、差別の目でしか見られない・・・そんなジェンダーの事実をきちんとしたストーリー映画にして、ただのものめずらしい見せ物映画にはしていない分別がとてもいいと思うのです。

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