素粒子

素粒子

ELEMENTARTERLCHEN/The Elementary Particles

2007年4月7日 渋谷・ユーロスペースにて

(2006年:ドイツ:113分:監督 オスカー・レーラー)

 先日、ある若い女性向けのフリーペーパーを読んでみたら、「風水でキレイになる」という記事の中で「素敵な女優の出るハッピーエンドの映画を観ましょう。ネガティブな映画とはサヨナラしましょう」と書いてあって、は????

風水でキレイになる、というのも変な話だけれども、風水と映画が何の関係があるのか?風水師にこんなこと言われたくないわ、とその雑誌は捨ててしまいました。

 しかし、この映画は、そんな「風水でキレイになろう」といった○○で何か良くしようともがく兄弟の話なんですね。

それが正反対なのです。

兄弟といっても異父兄弟なのですが、奔放な母に育児放棄された兄弟は別々に育つ。

兄は、高校の国語教師、弟は数学の天才で、分子生物学者。ティーン・エイジャーになってから、またまた勝手な母によって「ハイ、兄弟よ、仲良くね!」などと都合の良いことを言われて戸惑う兄弟。

 それでもお互い30代になり、たまに顔を合わせるけれど、親しくもない・・・・

兄は、性的に欲求不満で、とにかくセックスすれば自分は救われる、なんとしてもセックスだ!といつまでも酒と薬に溺れながらじたばたセックス依存。

弟は逆。女性とは一切関わりを持たず・・・セックスなしで子供を作る研究・・・いわゆるクローン技術の研究に没頭して人とのつきあいを極度に避けています。

 あがきにあがく兄と頑なに殻にこもる弟。

弟はひとりパソコンに文章を打ち込む。「真実は素粒子に似ている。それ以上小さくできない」

 しかし、兄にも弟にもそれぞれ女性が現われる。

その関係は全く違うけれども、いい歳して、どちらも手探りで相手と接していく様子。

 兄弟にしてもそれぞれの女性にしても、完璧なハッピーな人はいない。

弱いところがあり、つらい過去があり、現在に不満で、満ち足りなく、寂しく、つらく、それでも生きている。

そんな4人。そして過去にひとりだけ自由奔放にふるまうことのできたのは母だけです。

 崩壊してしまった家族関係、そんな環境で育った不幸がまた不幸を呼び、不器用に失敗し、不安のあまり依存するか、殻にこもり世界を閉じてしまうか・・・痛いひとびと。

痛さを抱えて生きるつらさ。そんなものを目をそらさず、美しい映像の中に悲しくたたずむひとびと。

そんななかで、なにか見つける。それが小さな小さなことであっても、それは美しい。

そしてやっと手に入れたかに思えたものが、あっという間に指の隙間からもれてしまう悲しさと痛さ、つらさ。

つらいことを通じて兄弟は、それぞれの道を見つけるかどうか。

 兄を演じたのは、モーリッツ・プライプトロイ。女性に人気のある俳優さん、とありましたが、ファティ・アキン監督の『太陽に恋して』の主人公、ダニエルでした。あの誠実で、真面目な役とは大違いのとことん途方にくれた30男。

弟のクリスティアン・ウルメンは、映画では眼鏡をかけた学者で、滅多に笑わないのですが、本業はコメディアン。

そして原作はフランスのミシェル・ウェルベックの同名小説。

 わたしは弱いところを、そのまま弱々しく、その逆で綺麗なものをただ綺麗に映画にしただけなら、映画としての力はないと思います。

 しかし、弱いもの、つらいもの、痛いものを、どう表現するか・・・ということに関して、この映画は、とても巧妙に出来ており、作り手の良識というものが力強く出ていて、観ていて、痛いけれど、不快ではないというギリギリのバランスが常に保たれている上手さを強く感じました。

こういう話を映画にするのはとても勇気のいることだし、自信がないと出来ない、そしてその自信が観る者を圧倒し、新鮮な気持にさせることが出来る・・・・最初の話になりますけれど、ポジティブだろうと、ネガティブだろうと、どう描くか、が映画の本質であって、「ネガティブ映画はサヨナラ」では、本当にキレイな人になれるのだろうかと思います。 

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