世界はときどき美しい

世界はときどき美しい

2007年4月8日 渋谷・ユーロスペースにて

(2006年:日本:70分:監督 御法川 修)

 この世は、ときどき美しい。

フランスの詩人、ジャック・プレヴェールの詩からとられた8ミリ撮影の5人の5つの詩。

映画を観るというより、音楽を聴く、風呂にゆっくり入る、ちょっと騒がしい居酒屋で酒を飲む、静かな喫茶店でコーヒーを飲む・・・・そういった日常の中の体験に近いものがあるので、必死に話を追ったり、笑ったり泣いたりして観るというより、あまり頭を使ったりしないで瞳の快楽に身を任せるタイプの映画です。

 だからこうこうこういう話です、と書いてしまうことはとても無粋なことと思います。

 8ミリの映像というのはもう最後に観てから何年になるのか・・・・学生時代に少し8ミリを撮っていたころの映像が映画館のスクリーンに映るので、クリアな映像ではないし、台詞らしい台詞より、5人の心境のモノローグがメインなので、実に静かな映画です。

 松田美由紀、柄本明、片山瞳、松田龍平、市川実日子。

特別な人はでてこないけれども、唯一モノクロの一編、柄本明の『バー・フライ』の大阪の酒場で、心と体と財布を傷めながら、酒をすする男の背中はなによりも雄弁であり、現実を離脱してしまっています。

そこにあるのは、なにか空気のようなものだけで、その空気は、とてつもなく重い。

 反して市川実日子の働く女性の母との会話に見られる、しっかりとした、空気。

 札幌の天文台で星を観ている松田龍平は、これから産まれる子供を宿した恋人から「あなたは、スナフキンでしょう」と言われる。

別に旅人スナフキンのように春までいなくなってしまうわけではないのに、空を見る目は遠くを見ていて、本当にどこかへ行ってしまような薄い空気をもっている。

 身体をこわしてから、雑草に目がいくようになったヌード・モデル、松田美由紀が、手にふれる露にぬれた昼顔の花、雑草の花・・・若さからは遠くなってしまっても、自分の存在を植物を見ることで確かめるような不安と安心を同時に持ち合わせている空気。

 恋人と裸で肌を触れあっていても、その質感がわからない片山瞳。

道路にある自動販売機の色鮮やかさに対して、若い2人の裸の肌の色はとても落ち着いた空気を持っています。

 この映画は空気をとても大事にしている、というのがいいです。

8ミリというのは、機械が小さいので簡単に撮れるけれども、簡単だからこそ安直に流れてしまいがち。

しかし、この映画はそんなひとりよがりな安直な自己満足で完結していません。

あくまでも、日常を描きながらも、日常を離脱した5つの色の空気をだしている、5色の虹のような映画。

虹というのは、雨が上がった後に出て、そして消えていく。

 そう、世界はいつもいつも綺麗で、楽しいわけではなく、ときどき美しいのです。 

0コメント

  • 1000 / 1000

更夜飯店

過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。