クロッシング・ザ・ブリッジ~サウンド・オブ・イスタンブール~
Crossing the Bridge The Sound of Istanbul
2007年4月8日 シアターN渋谷にて
(2005年:トルコ=ドイツ:92分:監督 ファティ・アキン)
前にも書いた事があるような気がしますが、ドキュメンタリー映画とひとことで言っても色々な「ジャンル」のような違いがあります。
『A』『A2』『蟻の兵隊』といったある事に焦点をしぼって、対象となるものに密着して虫メガネで観察するようなタイプ。
またはある人物に密着するようなもの。
それと反するように、ひとつのキルトのように様々な様子を撮り集めて、ひとつひとつのピースがまとまってひとつ、のようなもの。
この映画は完全に後者で、よく似たドキュメンタリー映画が『モロ・ノ・ブラジル』だと思うのです。
『モロ・ノ・ブラジル』も外国人であるミカ・カウリスマキ監督がみたブラジルの音楽の色々・・・でしたが、この映画は、トルコ系ドイツ人であるファティ・アキン監督の祖先の国の色々な音楽・・・というのを、ロード・ムービーのような形式で音楽に出合って、音楽を拾っていく様子です。
混沌。そんな言葉が浮かびます。
イスタンブールは72の民族が行き交う大きな橋みたいな街だ。
そんなモノローグがあるように、日本からは想像できない、実感できない、民族の多様さを音楽ということに絞って追っています。
しかし、監督は、祖先のルーツ探しのようなことはしません。
伝統音楽もあれば、現代若者のヒップホップもあれば、人気歌謡曲もある・・・音楽とは、なんぞや?トルコとはなんぞや?
そんなウンチクを語ろうなんて、監督は考えていないのだと思います。
音楽を演奏し、歌を歌う・・・それを見せるだけでなく、街の混沌も映し出す。
街の中心の広場で、暑さで腹を出して眠りこけている野良犬、扇風機のボタンが、かたん、かたん、かたん・・・と壊れて動かない様子。
そんな風景にあわせて、迫力の歌が繰り出されてきます。
映画を観る、というよりも、音楽に浸るという、体験に近いものでした。
映画館の音響システムがないと、なかなか音楽を浴びるような、この体験はできないとも思います。
だから、ストーリーもないので、トルコ音楽とはこういうものである、という結果もないのです。
突然といっていいほど、旅は終わる。
しかし、出てくる人たちの年齢層が、幅広く、若い人たちの姿には、監督の若さが見え、大御所、歌姫と呼ばれる国民的歌手になると尊敬、という謙虚な姿勢が伺えます。
ドキュメンタリー映画というのは、執念でしつこく追い回さないと成り立たないようなものだと思うのですが、不思議とこの映画はそんな執着が見えない、感じられないけれど、深さを感じるものがありました。
行ってみたいな、イスタンブール。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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