あしたの私のつくり方

あしたの私のつくり方

2007年5月4日 渋谷・アミューズCQNにて

(2007年:日本:97分:監督 市川準)

 市川準監督の映画は「ふんぎりをつける」という内容が多いと思います。

主人公たちは、何か、それが妻との死別(トニー滝谷)、死が間近に迫った父の介護(あおげば尊し)と同じく、この映画は、他人に好かれる為に仮面をつける、自分の気持を抑えるためのマニュアルを携帯のメールでやりとりする2人の女の子が、その仮面にふんぎりをつける映画です。

自分探しの映画は、若者映画の大きな柱ですが、そういう見方をするとこの映画は「女の子自分探しの映画」の佳作だと思うのです。

 いじめにあっていた転校してしまった女の子、日南子(前田敦子)を、人に好かれる為のマニュアルのようなメールを送り続ける女の子、寿梨(成美璃子)。

日南子は、転校した先で、そのマニュアル通りに行動すると人気者に。

10代女の子の世界というのは意外と狭いもので、ある思いこみから、あっという間に転落するととことん突き落とす、逆に人気になればこの世の天国。

 誰もが仮面をかぶって生きている。思春期になると覚える、人に好かれる為の仮面と嘘。

そんな仮面と嘘を2人の女の子を通して、また、携帯で「ヒナとコトリの物語」と称したマニュアルを送りあう、という携帯文化を上手く使って、年代を超えた「痛みのわかる大人への成長」を、市川準監督の得意とする日本の歳時記のような美しい風景映像を、インサートさせてさらさらと描いています。

 しかし、人に好かれるマニュアルなんて実は、そうそう万能ではない、ということに2人は気付く。

結局、自分の顔の仮面は自分で作るものだ、ということが、どんなに仮面をかぶっていてもダメなときはダメなものだ、というふんぎりに気が付く映画です。

 顔の見えないメールのやりとりも、最後にはお互いの顔を見ながら話をして、自分の気持を吐露するという方が、迫ってくるものがあり、この時、立場は違うけれど、小学生の時同級生だった2人は高校2年生になってやっとお互いを知り合うのです。

なんでもすぐに、ひとことでわかろう、解決しよう・・・という気ぜわしい中で、時間をかけて対人関係を築いていく2人の女の子を、映像はとてもイキイキとみずみずしく描いています。

寿梨の高校で、女子高校生たちがするマス・ゲーム。練習しているときの女の子たちのだらけてくる様子などもとても丁寧にカメラは拾う。

 これは人間である以上、仕方のない事でもありますが、自分はいつも人気者・・・とそれが本当か思いこみかは別として、自分はひとりじゃない、と安心している人には、理解出来ない女の子の心理だとも思います。

市川準監督の映画のもうひとつの要素は、「孤独」だと思います。孤独が怖い、寂しい思いが怖い・・・そんな不安を抱えて生きていかなければならない人々、年齢を問わずあてはまる「人に好かれる為のマニュアルの顛末」でした。

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