黄色い涙

黄色い涙

2007年6月2日 恵比寿・ガーデンシネマにて

(2007年:日本:128分:監督 犬童一心)

 犬童一心監督の映画は『タッチ』あたりから、一般受けする商業映画に徹しているようで、それ以前の毒や遊び心がなくなってしまったようでちょっと寂しいのです。

 確かに、無難で万人にわかりやすい映画を作ることは大事だし、そうでもしないと興行成績、つまりお金が儲からない。

しかし、そんな映画ばかりでは、映画の可能性を逆に狭くしてしまうような気もします。

映画祭なんて必要なくなるかもしれないし、映画=テレビという図式・・・ビデオやDVDの普及の時、わたしが思ったのは「ああ、映画がテレビと同じになってしまう」でしたが、映画はスクリーンの為に作られるもの、テレビとは違うけれど観る方の意識が「テレビと同じ」だったらもう、それは本当にテレビと同じになってしまうと思います。

 この映画は原作が永島慎二の漫画、主演の若者5人をジャニーズの嵐のメンバーが演じるというもの。

時代は1963年の夏。

漫画家、小説家、画家、歌手をめざす若者がアパートの一室で一緒に過ごした夏の物語。

セットは凝っていて、一番凝っていたのは、電車や駅だと思うのですが、多分オールセットでお金かけて時代を出そうと苦心しているのがわかります。

 しかし演じているのは、嵐という今時の若者。嵐のメンバーもそれぞれ映画などで役者として活躍しているので、そうそう下手なアイドルではないのですが、醸し出す雰囲気が、「平成の若者」なんです。

 これは『初恋』を観た時も同じ苦しさを感じたのですが、どう見ても、今時の若者に40年前の若者を演じさせる苦しさがずっと続きます。

いわゆる芸術を志す4人が一部屋で暮らす・・・にしては、貧乏で金がなくて、それでも芸術に・・・と夢を持つ4人にしてはこざっぱり不潔感がないし、アイドルにそういう事をさせる、ということは出来ないのでしょう。

だったら、嵐のメンバーの個性をもっと活かした映画なり脚本なりをもってきたらいいのに・・・と思うのですが、なんとも個性を殺したおとなしい青年たちです。ガツガツした所が全く見えない、というのが、今風なのです。

一番それを感じたのは、4人の煙草の吸い方。

この時代の若者たちだから、よく煙草を吸うのですが、吸い方が下手というか、普段吸っていないのがよくわかる吸い方で、ちょっと火をつけてすぐに消してしまう、という吸い方は貧乏人はしません。

もう、根っこの根っこまで吸って、なおかつ、シケモクとしてさらに吸う・・・みたいなことをするのに、この映画の若者たちは、煙草を無駄に吸っている感じがします。

台詞ではやたらと「金がない、金がない」と言って、質屋に行ったりするのですが・・・・貧乏感が抜け落ちてます、という印象。

 容れ物(セットなど)はとても良く出来ているのだけれども、中身がちぐはぐ・・・そんな映画に思えます。

昔は良かった・・・となおかつ言いたいのでしょうが、昔を懐かしむならば、それなりの役への作り込みが必要かと。

アイドルが観られればそれでいい、という観客だけではないし、この映画はアイドルのお姿を眼福として楽しむ内容の映画ではないです。

やはり、ちぐはぐ感がどうしても後味に残る映画となりました。

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