クイーン

クイーン

The Queen

2007年6月10日 日比谷 シャンテシネにて

(2006年:イギリス=フランス=イタリア:97分:監督 スティーブン・フリアーズ)

dignity:気品、品位、威厳。

この映画で、何度も出てくる言葉です。

そして、それを体現しているのが、様々な賞を総なめにした、エリザベス女王役のヘレン・ミレン。

この映画は、dignityの映画であり、ヘレン・ミレンの映画です。

 日本でも大人気だったダイアナ元皇太子妃。

1997年8月31日の交通事故の騒ぎはよく覚えています。

ただし、わたしは日本の皇室同様、イギリスのロイヤル・ファミリーもほとんど興味がありません。

 この映画の凄いところは、映画として、あの事件を王室側から堂々と映画にしてしまった、ということなんですね。

日本だったら考えられないところ。

アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』では昭和天皇が描かれていましたが、あの昭和天皇は終戦直前の憔悴しきったひとりの人、というアプローチでしたが、この映画のエリザベス女王は、あくまでも毅然としているのです。

 皇太子と離婚しても、人々の関心を集めていたダイアナ。

それ故、パパラッチに追いかけられたわけですが、それは、ダイアナを見たいという人々の要望が故。

人々の野次馬根性がダイアナを死に追いやったのではないか、とわたしは思うのです。

 ダイアナの死からの7日間を描くこの映画は、とても密度の濃い映画。

2時間を超える映画が、多くなった中で、余計な部分は巧妙にはぶき、昔の映像を上手く使い、描くものはきちんと描き、そして役者に、王室を演じさせるという、大変よく出来た大胆で繊細な映画です。

ダイアナのスキャンダルに野次馬だった人が、同じ野次馬根性でこの映画を見ても、得るものは少ないと思います。

 皇太子と離婚して、王室の人間ではなくなったのに、世間は、国民は、「王子(将来の王)の母」という言い方をして、「皇室扱い」を拒否する王室をバッシングする。

ダイアナへの同情は高まるばかり。

王室への批判は高まるばかり。

その間で、就任したばかりで「若造」のブレア首相が奔走する。

 エリザベス女王の夫フィリップ殿下が、「生きていても死んでも、厄介なダイアナ」とつぶやきますが、わたしもそう思うのです。

「美人」「プリンセス」「王室」・・・そんなものに勝手なイメージを持って、それが、国を支えてきた王室への非難という形ででてしまうのが、とても愚かしいことに思えました。

しかし、この映画は史実に巧みに忠実です。

 女王という役目を果たしながら、国民からバッシングをひとり受けて立つ、エリザベス女王。

'Duty first. Self second'(義務が第一、自分は第二)でやってきた・・・とつぶやくエリザベス女王の苦悩をここまで見せるか、と。

 結局、王室はブレア首相の忠告を受け入れることになりますが、国民へ媚びを売るような、国民のいいなりでは王室はやっていけないけれど、国民がいなければ王室はやっていけないことも十分に知っているその葛藤と苦しみを、ヘレン・ミレンは、ほとんど喜怒哀楽を表さない表情の中に迷いを、苦しみを、怒りを・・・押し殺した演技で演じきっていました。

ただ、外見を似せた訳ではなく、ヘレン・ミレンンはエリザベス女王のそっくりさんではないのですが、醸し出す雰囲気はまさに、dignity。

 あるひとつの事件を描きながら、王室のありかた、同時に人の親であり祖母でもある女性を描ききったすぐれた女性映画だと思います。

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