主人公は僕だった

主人公は僕だった

Stranger than Fiction

2007年6月10日 日比谷 みゆき座にて

(2006年:アメリカ:112分:監督 マーク・フォスター)

 マーク・フォスター監督は、『チョコレート』『ネバーランド』の・・・と語られていますが、わたしは、前作『STAY ステイ』が好きです。

アメリカ映画でありながら、どことなくアウトローのような雰囲気を持つ映画かな・・・と過去の映画を観て思ったのですが、監督はドイツ生まれでスイス育ち、アメリカで映画を学んだという人でした。

 この映画も意外とトリッキーな事が細かく緻密に配置されています。

それが、「主人公」ハロルド・クリック(ウィル・フェレル)が、どんな人物か、をてきぱきと語る冒頭の部分。

言葉で解説するだけでなく、特撮というかアニメで、数字や言葉がぴろぴろっと出てきて面白く語ってみせます。

時計の’クリック’のように毎日毎日、規則正しい、言い方変えれば、何の変化も面白みもない生活をしている独身男、ハロルド。

歯を磨く時も同じ回数を、磨く・・・と横にカチカチカチカチって数字が出てすぐに消えてしまうのです。

この「すぐに消えてしまう」というのが手が込んできて、観ていて楽しかったですね。

脚本はオリジナル脚本なのですが、よく出来た話で、本好きな人にはたまらないというか笑えるような、感心するような話です。

 平凡きわまりない国税局の小役人・・・ハロルド。

突然、女性の声が聞こえる。ハロルドの行動をいちいち「説明」する不思議な声が、ハロルドだけに聞こえる。

 それは、10年間ブランクがあって、なかなか新作の執筆が進まなくてノイローゼ気味の女性作家、カレン・アイフル(エマ・トンプソン)が書いている’ハロルドと腕時計の物語’という小説の主人公がまさにハロルドだった、という不思議なのです。

 ハロルドはだんだん、自分の行動が「語られる」ことに不安になって、規則正しい生活も乱れてきてしまう。

そして、自分の行動をいちいち語る言葉が文学的なので、大学の文学理論の教授(ダスティ・ホフマン)にたどりつきますが、この教授の分析によると文学は悲劇か、喜劇か・・・・どちらかだろう・・・とハロルドの日常生活で「悲劇的要素」と「喜劇的要素」をメモするように・・・なんて言います。

生真面目なハロルドですが、たまたま納税滞納催促に行ったパン屋の女性に、一目惚れ・・・したので「悲劇」か「喜劇」か・・・なんとかお近づきになりたいと同時にこれは悲劇なの?喜劇なの?とたいへんなことに。

 この映画は過激な演技が得意だったウィル・フェレルの「普通の人ぶり」と、大女優、エマ・トンプソンの「やけくそぶり」の間に、ダスティ・ホフマンの真面目なんだか、からかっているのかわからない飄々とした「第三者」・・・という配置がとても巧妙です。

 エマ・トンプソンは、もう行き詰まって目の下がくまというより、赤くただれていて、髪はぼさぼさ、パジャマのような部屋着で裸足でウロウロ、ずっと煙草を吸い続けている。

いつでもどこでも吸っているから、手にティッシュを持って、そこにツバを吐き、煙草の灰皿がわりにするという技。

あああ~もう、うんざり~~~もう、わたしはダメだわ~~~もう、アイディアがわかない~~という思いっきり後向き演技が堂にいっています。煙草の吸い方も精神不安定な様子が、すごくよくわかる「煙草演技」やるならここまでやって欲しいという上手さ。

 さて、実は、カレン・アイフルという作家は、「悲劇が得意な作家なんだよなー」なんて呑気に教授に言われて、パニックになるハロルド。

カレンは、ハロルドを「どう殺そうかしら・・・?」に悩んでいる。敏腕編集者がついて、まかせてくださいっ、なんてはりきる。

ハロルドはなんとかして、主人公=僕を殺すのを阻止しようとする。

 物語、文学、映画・・・というのは「作り物」

作り物の世界の作り物になってしまった人物を映画という作り物にした、という、やはり『STAY』の監督ならではの謎めいたセンスが、今回はとてもテキパキとユーモラスに語られています。

出てくる人物たちの描き分けもとてもスムーズで、わかりやすい謎物語になっています。

アイディアの上手さと、遊び感覚と、役者の上手さと、語りの上手さと、ユーモアが合体した映画で、映画ならではの事をさりげなく駆使しているので、そこに気がついて欲しいなぁ、なんて思うのです。

原題もいいけれど、邦題もまた、いい映画だとも思います。上手く思いついたもんだ、なんて感心。

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