しゃべれども しゃべれども

しゃべれども しゃべれども

2007年6月15日 シネスイッチ銀座にて

(2007年:日本:104分:監督 平山秀幸)

 喋るのが、実はわたしは苦手です。

無口なのではなく、外の世界で、誰かと会う時「沈黙が怖くて」異様にべらべらと喋ってしまい、後でどっと疲れる、のです。

活花で先生の替りに中学生、高校生に活花を教えたときも、先生は「とにかくしゃべることです。とにかく褒めて、褒めて褒めまくる・・・最初はね」・・・・この「最初はね」が、先生のもとで長く稽古を続けていると、どういう事か、よーくわかるのですが、何はともあれ、やはり先生の指導を側で観ていると、先生は、相手が中学生であっても、大人であっても、その場その場の空気をさっと、読んで、喋るのがとても上手い。

・・・・そして、その通りにやろうと、とにかく、べらべら喋った後のあの、疲労感ったら・・・・

これは、明かにわたしが「無理してしゃべろう」としているからですね。

本当は、だる~~っとやる気が全くない子供には、「やりたくないなら、辞めなさい、帰りなさい」と言い切りたいところ、そうもいかない苦しさよ。

仕事の場でも、教えるよりも教わる方がずっと楽なんです。

 この映画の主人公は、今昔亭三つ葉(国分太一)という二つ目の落語家です。

落語は古典落語しかやらない、「着物が似合わないねぇ」といわれつつもいつも着物を着ている、頑固な若者。

落語はしゃべることが、芸です。

しかし、どうも三つ葉は、何をしゃべっても、お客は閑散・・・・師匠の今昔亭小三文(伊東四郎)は「お前さんの話なんか誰も聞いていないんですよ」

 そんな三つ葉がひょんなことから始めることになった「話し方教室」

生徒は、3人。

美人だけれども、無愛想そのものが歩いているような女性、十河五月(香里奈)

関西弁をからかわれていて、くやしい思いをしている、阪神大ファンの小学生、村林優(森永悠希)

元プロ野球選手で、テレビの野球解説をするものの、極端なあがり症で、上手くしゃべれない湯河原太一(松重豊)

 凸凹な生徒に、「噺が下手だねぇ」の落語家の先生。

この4人は、上手くなんていきません。何かと衝突しあう。

「上手くしゃべれるようになる」というとても漠然としたことを目指すだけに、あっちうろうろ、こっちうろうろ。

何か言えば、「じゃ、そういうあんたは、どうなのよっ」といわれてしまえば、ぐ。

 そんな普通だったら出合わない人々のあれこれを、とてもサバサバっと描き、じめじめしそうなことも、さっとかわし、とてもさやわかな映画になっている所がいいです。

深刻になってしまったら、思うようにしゃべれないじゃないか・・・そんな事がよくわかっている映画。

言い返されて、言い返せない先生の国分太一の真面目で、誠実で、頑固なところがいいし、「話し方が下手」な演技が、皆とても上手いのです。

 落語では「まんじゅうこわい」をやりますが、三つ葉はあえて、師匠の十八番「火焔太鼓」に挑戦しようとする・・・それを見つめる生徒たち。

 しゃべるということは、映画でも同じことで、いかに語るかの難しさがあり、「語りが出来ない人々を上手く語った映画」になっていると思います。

そして、人とコミュニケーションするのは言葉だけではない、時には沈黙、時には行動・・・なのだということをさらりと描いてみせる爽快な映画になっていました。

しゃべる時に必要なのは、空気を読むことと、爽やかさである、なんて映画を観たあとひとり、ウンウンとうなずくわたしでした。

無理はいけません。 

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