あるスキャンダルの覚え書き

あるスキャンダルの覚え書き

Notes on a Scandal

2007年6月18日 日比谷 シャンテシネにて

(2006年:イギリス:92分:監督 リチャード・エアー)

 世の中、善意だけで成り立っている、と思っている人っているのでしょうか?

しかし、人は善意を信じたいのだと思います。人によっては、ひたすら目を背けているのだと思います。

信じたいけれど、それが裏切られる、もう、信じられない・・・・この映画はそういう心の傷を深く描く映画。

 わたしにはよくわかりませんが、性善説と性悪説の二つだけでで、語ってしまうことは、避けるようにしています。

この映画は、その辺のところがものすごく巧妙で、濃淡のつけ方が上手くて、また、役者も上手いのです。

 独身の厳格な女教師、バーバラ(ジュディ・ディンチ)が勤める中学校は、労働者階級の子供たちが集まる学校。

そんなところで、善意の指導ばかりではやっていけないことをよく知っている・・・バーバラのナレーション(主観)で映画は進みます。

 美しい美術の新米教師、シーバ(ケイト・ブランシェット)が赴任。

シーバは、手強い生徒たちに振り回されるのを、見つめ、そして手をさしのべるバーバラ。

バーバラにあるのは、善意でもありますが、独身で一人暮らし、孤独を愛しているのに、孤独しか愛せないのに、誰かとふれあいたい、という渇望も持ち合わせている下心。

そんな下心を、バーバラは日記に覚え書きとして書き付ける。

 そんなとき、シーバが男子生徒とスキャンダラスな関係にあることを知ってしまったバーバラは、家庭と仕事とスキャンダルに悩むシーバの良き相談相手のような立場をとりながら、だんだんと、シーバという女性を「わたしの仲間、わたしの親友」に手なずけてしまうのです。

善意を信じて疑わないシーバは、バーバラだけが、頼りになる、という共依存関係になってしまうあたりのスリリングさ。

お友だち関係というのは、時には「秘密を共有する」ことによって成り立つことがありますが、それが秘密でなくなったとき、崩壊する。

 バーバラの忠告ももっともな部分もあるけれど、シーバは、悩んでも悩んでもなかなか、泥沼から抜け出させない。

ますます、バーバラを頼ってくるのを、受け入れるように見せて、どんどん自分の本性、本音を押しつけてくるのです。

二人の関係のバランスがいつも不安定である、という大変、難しいことをやってみせます。

 老女、バーバラはレズビアンか?という疑問もあるのですが、それなないですね。

バーバラにあるのは「都合のいいときだけ、自分の得になる人間」であって、「自分に損な人間は疎外する」

それは、映画を観ている内にわかるのですが、いかに過去、バーバラという女性は「他人から疎外されてきたか」という事も、十分経験して知っているのです。

「自分の得」を異性に求めるには年をとりすぎていて、若い女性にそれを求めるあたりが巧妙です。

その底知れない傲慢さをジュディ・ディンチが、ほとんど表情を変えずに厳格な表情を通し抜いています。

黙ってはいるけれども、見下した時の鋭い目の力なんて、恐怖を覚えるくらいです。

 いくつになっても恋は大切よ、恋は出来るのよ!なんて楽天的な考えを一蹴するジュディ・ディンチのたたずまいに圧倒されました。

では、ジュディ・ディンチは、ひたすら悪意の人なのか、というと、誰もが持ち合わせる「人を好きになる。好感を持つ。親しくなりたい」という気持も十分含まれているのがよく、わかるのであながち、悪女!悪者!とは言い切れません。

しかし、結局、ジュディ・ディンチのすることは、人を傷つける残酷なことでもある。

善意と残酷。

この映画はこの2つの言葉だと思います。

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