海と毒薬
2007年7月28日 銀座 シネパトスにて(追悼 映画監督 熊井啓)
(1986年:日本:123分:監督 熊井啓)
ベルリン国際映画祭 審査員特別大賞、銀熊賞受賞
映画に熱中する、というより、映画に吸い込まれる・・・そんな体験。
モノクロの映像が、目に焼き付くような体験。
それはいつまでたっても、瞳の奥に焼き付いて離れない。
若い奥田瑛二と渡辺謙の正反対の対照のさせ方。
リアルな手術のシーン。
暗い部屋の中にぽっかりと鉄格子が浮かび上がる尋問室。
力のある映画です。
原作は遠藤周作で、脚本は熊井啓監督、そして美術は木村威夫。
社会派とよばれるにふさわしい、医学、人権、戦争、罪・・・そんなものを実に力強く描ききっています。
映画は、いきなり鉄格子の中の尋問室で、GHQ(岡田真澄)に尋問される若い男(奥田瑛二)
何故、この若者はアメリカ軍に尋問されているのか?
昭和20年5月。
敗戦色濃い、九州の大学病院の研究生、勝呂(奥田瑛二)と戸田(渡辺謙)
この2人は対照的。
気持が優しくて、反面優柔不断な勝呂に比べて、冷静、沈着、野心に燃える戸田。
この2人は、まだ医者ではないけれど、戦争中のため、それぞれが患者を持っている。
大学病院では、学長の座をめぐって教授たちが水面下の争いをしている。
世間は、空襲が続き、敗戦の色が濃い。
そんな中で、自分の得になりそうな金持の患者には親切で、貧乏な末期患者はほとんど見捨てられている。
勝呂が、そんな末期患者にも優しく接するのを見て、「今、空襲でどんどん人が死んでいくっていうのに、見込みのないひとりの患者を大切にするのか?」と言い放つ戸田。
確かに、ひとりの患者への情に流されてしまうのも、医者としてはどうか、という部分もあります。
そんな時、大学病院側は日本軍と手を組もうとする。
そのかわり持ち込まれたのが、捕虜で捕まったアメリカ兵8人の生体解剖なのです。
どのくらい血がなくなれば、人は死ぬのか、肺を切り取ってしまったらいつまで生きていられるのか、生体実験をする。
秘密裏に行われる、解剖に参加せざるを得なくなってしまった2人。
「どうせ銃殺刑になるのだから、医学の進歩の為に役立つ、と思えばいいじゃないか」
そんな言い分に、勝呂は、いくら敵だからといって、これでは殺人ではないか、と悩みに悩みぬくのです。
戸田、といえば、自分の医者としてのキャリアの為には、割り切って積極的。
そして、とうとう、生体解剖が始まってしまう・・・・
勝呂を演じた奥田瑛二の繊細さ。
戸田を演じた渡辺謙の目の鋭い光。
また外科部長の田村高廣の威厳と落ち着きと虚栄心。
鋭く周りを見ている外科医の成田三樹夫。
表情を全くみせない婦長の岸田今日子。
いびつな物をもつ看護婦の根岸季衣。
そして、そんな人々を問いつめる岡田真澄の迫力。
ストーリーもさることながら、役者たちの真に迫った演技が、見るものをとらえてはなさない。
そして、戦争中の手術の様子。
手術室の床は水が流れていて、血をふきとったガーゼをどんどん床に捨てていく・・・そこから滲み流れ出す血。
人の命をどう扱うか、戦争はいかに狂気をもたらすか、医者としてのあり方とは何なのか・・・単純な善悪は出てきません。
これは実際あった事を元にした小説ですし、もっと残酷な事はたくさんあったはず。
そんな中で、物語として、映画として、きちんと筋道を貫いた姿勢が、映画の観る者の胸を貫いていく。
本来だったら、最後の最後まで・・・登場人物が戦後どうなったのか、まで描くのかもしれません。
描ききってしまわなかった所に潔さがあるのです。
2007年5月、熊井啓監督死去。
追悼になってしまったのは残念ですが、こういう企画をすぐ出せる銀座シネパトスは偉い。
****追記*****
銀座シネパトスは今はもうないのですが、私が学生の時は成人映画館でした。しかし、単館公開映画の映画館としてその後復活。スクリーンは3つあり、地下で、飲み屋が目のまえだったりして、独特の雰囲気を持っていました。
熊井啓監督追悼上映なども、ここだけの企画でした。すごくいい映画館で、個性の光る映画館、他に真似できないものを持つ映画館でした。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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