式部物語
2007年8月3日 銀座シネパトスにて(追悼 映画監督 熊井啓)
(1990年:日本:113分:監督 熊井啓)
イギリスの詩人、ワーズワースの言葉に'Idiot is innocent'というのがありました。
この映画に出てくる奥田瑛二演じる男、豊市は、過去の火事の事故のショックで正気を失い、幻聴に悩まされ、精神状態は幼児そのもの。
しかし、その様子はまさに'Idiot is innocent'なのですが、その母、伊佐(香川京子)と妻、てるえ(原田美枝子)は、そんな豊市をもてあまし気味。
そこで出合うのが、式部教会という宗教団体の巡礼。
巡礼の末、仏に救われたという和泉式部の68代目を名乗る智修尼(岸恵子)が教祖。
美しい智修尼の姿を見たとたん豊市は、夢中になる。
しかし、尼、仏につかえる身、と表向きは立派な智修尼も、反面、陰では若い男を虜にしては捨てる・・・という俗な面もだんだん出してくる。
智修甘に思うように翻弄される豊市。
しかし、正気に戻ることすら出てくる。
それを、功徳だ、奇跡だ、素晴らしい・・・と騒ぎ立てる巡礼者たち。
しかし、自分の欲のためだけに近づけた豊市など、智修尼にとっては、邪魔。正気になったのだから帰れ、とすげない。
豊市は一途についていこうとするけれど、智修尼に足蹴にされ、また元にもどってしまう。
しかし、「奇跡」を教会の看板にしよう・・・と目論む信者たちは、隠蔽し、母、伊佐も豊市から離れていく。
結果としては、誰も救われなかったのです。
一瞬でも正気に戻った豊市と母の物語はなんとしても「奇跡の美談」という救いに作り上げなければならない。
仏を名乗る者の中にひそむ、俗物性を岸恵子が演じていますが、どことなく日本人離れしていて、ヨーロッパの神無き後の宗教映画、みたいです。
仏教とは何か、という映画ではなく、あくまでも人間の中に潜む複雑なものを、宗教にからんだ物語としてあぶりだしています。
仏教というものにのめりこんでいない、距離をとったスタンスが、異国の宗教映画のように思えるのでしょう。
役者たちの演技がまた迫力です。
清廉でありながら、時に邪悪に妖艶な岸恵子。
無垢そのものの目をひたすらむける、奥田瑛二。
いらだちを全身から発する原田美枝子。
くじけそうになりながらも、なんとかしようと歯を食いしばる香川京子。
美術は木村威夫、撮影は『海と毒薬』『千利休 本覚坊遺文』などの栃沢正夫。
時折、はさまれる山や神社仏閣などの風景が息を飲むほど美しく、そして木村威夫の美術は、仏教というより、どこか異国のエキゾチックな宗教儀式のように作り上げています。
救われない人々の歩く、美しい風景。それはなんとも哀しい風景なのでした。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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