夕凪の街 桜の国

夕凪の街 桜の国

2007年8月4日 新宿 シネマスクエアとうきゅうにて

(2007年:日本:118分:監督 佐々部清)

 夏になると、戦争や、原爆を扱った映画が公開されます。

岡本喜八監督の映画など観ると、どの映画にも戦争の影が深く落ちていて、そういう点では、今、若い戦後生まれの戦争を知らない世代が映画を作るようになって、その機会はどんどん減っているように思います。

今年の原爆記念日にネットで読んだ、ある被爆者の方の言葉、「もう、原爆は落ちないって思っているでしょ」

そんなことはないのです。ただ、理屈ではわかっても、意識としての危機感は完全に透明に近くなってしまったのでしょう。

 佐々部清監督は、弱き者を描かせるととても情緒あふれる、大作ではないけれど、良質な映画を作ってきた、と思います。

そんな監督らしい、「普通の人々」をさりげなく描いた、いい映画です。

声高に反戦、原爆を訴えるというものではなく、あくまでも物語を語る中で、静かに「わからせる」という事ができるのだと思います。

 映画は昭和33年の広島が前半の『夕凪の街』、後半が平成19年の『桜の国』にわかれています。

『夕凪の街』では、被爆後、13年たって、原爆病を発病する女性、平野皆美(麻生久美子)が主人公。

年の離れた弟、旭(伊崎充則)は、戦争中、水戸に疎開し、養子となって被爆はまぬがれています。

なにごとも控えめで、事務の仕事をこつこつとする皆美は、突然発病する。

会社の営業の男性が、皆美の事が好きだ、とわかっても穏やかに断る。

発病して働けなくなって、心配した弟の旭が広島にやってきて、とても喜ぶ皆美。

しかし、「誰かに、「死んでしまえ」と言われたのに、生き残ってしまって・・・今、こうして死んだらどこかで「やった」と思う人がいるんやろね」とつぶやく。

たくさんの人が死んだのに生き残ってしまった・・・そしてわたしも死ぬ。

決して皆美は怒ったり、ヒステリーを起こしたりしません。穏やかに受止める。そうするしかない、というのがやるせなくてたまらないのです。

責める、といっても誰を責めればいいのでしょう。

被爆した、というのに住まいは長屋のようで国も全く保障してくれていない、というのが風景でわかるのですが、そんな中を生きていく・・・皆美は、「生きたいっ」とも言わず、「死んでしまいたいっ」とも言わない。

その「言わない」のがまだ学生の旭の心に傷を残したのでしょう。

そういったことを、麻生久美子はその穏やかな表情だけで、演じきっていました。

 そして、現代。『桜の国』

今、旭(堺正章)には、2人の子供がいます。

七波(田中麗奈)と凪夫(金井勇太)は、どうも、父が時々家をあけたり・・・不審な行動をしているのに気付く。

そして七波は、父、旭の後をつける・・・すると、父は夜行バスに乗り、広島へ・・・。

友人の東子(中越典子)と一緒に思い切って、夜行バスに乗る2人。

七波は、皆美の姪にあたる訳ですが、七波は伯母について全く何も知らない、知らされていないということがわかります。

どんな人だったのか・・・観客であるわたしたちは、皆美がどんな女性かわかっているのですが、七波はわからない。

父が何処に行ったのか・・・何故広島に行ったのか・・・・父は語ろうとしない。

 この映画は、「語ろうとしない人々の物語」なんですね。

話さなければ、わかりようがないのですが、話したくないこともある。

七波もくどくどと伯母について、話を聞かされるというより、父、旭のぽつんと言ったひとことで、わかるのです。

何かを、知らせるのに説明ばかりではなく、なにかもっと他のやり方があるはずだ・・・そんなひとつの方法をこの映画は示しています。

 麻生久美子が薄幸感に満ちていたのに比べ、現代の田中麗奈は、イキイキとしてちょっとがさつで男の子っぽい女性です。

友人の東子は、それなりに恋愛問題を抱えていたりしますが、なんともケロリとした、表情とちょっとがに股で歩く七波。

そんな七波は、父、旭を、伯母、皆美だけでなく、友人だった東子や弟の凪夫の事も初めて知ること・・・この物語の証人のような存在です。

軽薄ではないけれど、楽天的な女の子が出合う、色々な悩みや過去。

 出てくる人たちの服装のさりげない所に、色々な想いが秘められていて、皆美が同僚にすすめるワンピースと東子が着ているワンピース・・・同じワンピースで、時代が違うからデザインが違うけれど、とても可愛らしい清楚なワンピースでこの映画をよく現わしているようでした。

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