ただいま

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過年回家/Seventeen Years

2007年8月22日 新宿 K's cinemaにて(中国映画の全貌2007)

(1999年:中国:89分:チャン・ユアン)

 家族の断絶を短い時間の中で描いた映画。

といってもも家族の不仲をえんえんと描くわけではありません。

冒頭と最後しか、家族は顔を合わさない。

 冒頭、ある夫婦と2人の娘のシーン。

その会話だけで、再婚同士の夫婦であること、娘は血がつながっていないこと。そして、夫婦間の不仲、よい子で優等生の姉、外で自由にしている妹・・・そして娘2人は、「こんな家、早く出ていきたい」という思いは一緒です。

しかし、姉は勉強して、両親にはいい顔でも性格は、悪そう・・・妹は勉強は出来ないけれど、友人たちがたくさん、という正反対の様子もさっと見せます。

とにかく姉をえこひいきする両親ですが、5元札がなくなった事で大騒ぎになる。

とったのは姉なのですが、とっさに妹の枕に隠して知らん顔。

責め立てられる妹、しれっとしている姉の憎たらしいこと、そして、自分はやっていない、と言うのに憎まれ口を影でたたく姉にカッなった妹、タウ・ランは姉を棒でたたき、姉は死んでしまう。

殺人罪になって、17年の刑で女子刑務所に入るタウ・ラン。

 そして17年後、16才だったタウ・ランは33才。模範囚なので正月を家族のもとで過ごしていいという許しが出るけれど、タウ・ランに帰る家はないし、帰りたくないという顔をいつもしている。

 映画のほとんどは、しぶしぶと家に帰ろうとするけれど、時代の流れで、変わってしまった街に戸惑い、困ってしまうのを見かねた、主任のシャオジエが、家までつきそう・・・と2人で帰る様子が一番シーンとしては長いのです。

 両親には知らせてあるのに迎えに来ない。家にいくと地区整理で家はなくなっている。どこへ越したか・・・主任は懸命に移転先を探して、2人が建築ラッシュにわく街を歩き回る様子をカメラは静かに追います。

 10代~20代という時間を刑務所で暮らしたタウ・ラン。

外に出ることがないのに、こっそりと口紅を大切に持っているところなどとても細やかな神経の配り方です。

タウ・ランと同様、正月に家族と過ごそうと思っているシャオジエ主任が、辛抱強くタウ・ランにつきそう。

刑務所の主任ですから、厳しい面を持っているのですが、シャオジエ主任は嫌な顔することなく、タウ・ランと家族を会わせようとする。

シャオジエ主任のねばり強さ、というのが、この映画のもうひとつの芯です。

 タウ・ランは「もう一生、刑務所で過ごしたい」・・・・とぽつりと言います。帰る家などもうないから。絶対に許してなんかもらえないから。

面会も迎えにも来なかった、引っ越した事を知らせなかった両親、どんなに両親がかわいがっていた姉を殺した妹を許さないか、よくわかっているからです。

 そんなタウ・ランを叱る事なく、説教する事なく、淡々とつきあうシャオジエ主任の人柄。とても真面目なのですね。

確かに犯してしまった罪は消えないのですが、それが許されるかどうか・・・この場合は殺してしまった、という劇的な状況をもってきますが、ささいな事でも、許さない、いつまでもむしかえして忘れることができない恨み・・・そんなものを人間は持っているのです。

そんな気持にしっかりとむきあった映画。

 やっと出合った両親は戸惑い気味。母は「いっそ、一生、このまま刑務所にいてくれたら」と言い、父は無言で席を立ってしまう。

シャオジエ主任は、タウ・ランが、17年間も模範囚として刑務所にいたことを察して欲しい・・・と話すけれど、頑なな両親。

もう、タウ・ラン、消えてしまいたい思いです。

 しかし、「たった5元のために・・・」という父の言葉で家族のわだかまりが一気に解けるところ、ドラマチックだし、説得力もあります。

両親は両親で、自分たちを責めていたのだろう・・・とりかえしのつかないことをしてしまったのは自分たちのせいでもあるのだろう・・・・と苦しんできたのだ、というのがわかるもう老いた両親の言葉。

 家族というものは、理想で語られる事が多い・・・イメージとしての家族像を壊す、見事な手法と脚本。

そして正月という寒い時期の季節感の出し方。善意とも仕事ともつかない事を嫌な顔しないで付き添ってくれる人の存在の暖かさ。

人と人がひとつの「家庭」で暮らす難しさ・・・そんなものをさりげない風景の中でしっかりと出した骨太ともいえる映画です。

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