子供たちの王様

子供たちの王様

孩子王/King of Children

2007年8月25日 新宿 K's cinemaにて(中国映画の全貌2007)

(1987年:中国:106分:監督 チェン・カイコー)

 チェン・カイコー監督やチャン・イーモウ監督といった第五世代とよばれる監督たちに共通しているのは下放(都会のインテリたちが農村にやられ、労働に従事)を経験していることだといいます。

この映画は原作がありますが、チェン・カイコー監督自身の下放時代の思い出が色濃く反映されているとのことです。

 そこら辺は、変に強調はしません。

映画は、冒頭、丘の上にぽつんと建つ学校を映します。

霧にかこまれ、その霧が晴れ、日がさして、夕暮れになり夜になる・・・・それだけで、この映画の舞台を鮮やかに語ってしまうのです。

 ある青年が下放先で教師の職を得る。

タイトルからすると子供たちの教育熱心な先生、というイメージがわくのですが、実際は、この青年は教師になりたくてなった、とはいえなのです。

たまたま、職を求めていたら、教師の仕事があった・・・本人は、高校しか出ていないのです。

山道をえんえんと歩いて、たどりついた丘の上の学校。

いきなり、中学3年生を担当してくれ、と言われ、自信がない青年。高校生がいきないり中学3年生の担任になってしまうようなものです。無謀といえば無謀。

 しかし、物資の少ない学校では、教科書すらない。

先生が教科書を黒板に板書し、生徒はそれを書き写すだけの授業・・・にびっくりする青年。

だんだん、知らない字をなくして、自分で作文を書こう・・・という授業に変えていく。

その中で、抜群に勉強好きな男の子がいるけれど辞書を写そうとする。

今の日本の授業に比べてどうか、というと、案外、教科書丸映しだけの授業もあったりしますが、最初は自信がなかった青年も、どうにか手応えを感じるようになる。

下手なら、下手でいい。

とにかく作文を書く。自分のことを書く。人真似はしないこと。字を覚えて使うこと、を青年は知らず知らずのうちに教えるようになるのですね。

 しかし、思想をたたきこむのが当然だった当時では、型破りなやり方で、批判が出る。

 そして静かに学校を去る青年。

「これからは何も写すな。辞書すら写すな」と生徒たちに言う。

 一丸となって文化大革命をば!という時代に、人真似するな、自分を出せ・・・・と熱心でもなく、過激でもなく、ごく普通の流れで、こうすればいいのでは?をたたきつぶす上層部に対する批判ともとれる「写すな」という言葉。

 青年はとても穏やかで、熱血でもなんでもない。

戸惑いながら、先生も試行錯誤していく・・・・それをさりげなく描きながら、映像はあくまでも緑に囲まれて穏やかです。

生徒たちとの葛藤や、ドラマはあまりなく、でも、下放仲間がやってきたり、その中の女の子は、自分を音楽の先生に推薦しろ!とか言い張ったり・・・・そんなの無茶だよ・・・と言っても、いや、音楽を教えるわっとかなりとんちんかんだけれども、唯一の辞書を持っている彼女はあきらめなかったり・・・

 子供たちも特に問題児がいたり・・・は描かれないのですが、淡々としているようで、内に秘めた思いが「写すな」のひとことに凝縮されているようで、インパクトのある言葉です。

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