サッド ヴァケイション

サッド ヴァケイション

SAD VACATION

2007年10月14日 渋谷 シネマライズにて

(2007年:日本:136分:監督 青山真治)

 青山真治監督は自ら語っているようにテオ・アンゲロプロス監督の影響を受けています。

テオ・アンゲロプロス監督の映画の手法を真似しているのではなく、「凝視するカメラ」というところかと思います。

テンポのいい、起承転結きっちりとしたわかりやすい映画を作り上げる・・・その前にものすごい観察、洞察を行っているのではないか、と思ってしまうくらい、日常生活を映しても、事件を映しても、見せよう・・・とする前に、「一歩引いて観察して考えている」という空気がずっと流れ、それが緊張感となって映画をひきしめています。

 テオ・アンゲロプロス監督の映画が1シーンが長くてカメラが追って追っていく先にあるものをまた追っていく・・・というのに慣れていると、青山真治監督の世界は、また、違った追い方をしているのだな、と興味深いです。

テオ・アンゲロプロス監督の映画では人も風景の一部となって、まるで動く絵画のようなのですが、青山真治監督が見つめるのは人間。

 北九州が舞台となるのは、初監督作品の『Helpless』そして『ユリイカ』・・・この2本の続きという事ではありますが、この映画はひとつの映画として独立もしています。

 主演は、浅野忠信。他にも豪華キャスト・・・です。

話はシンプルです。母に捨てられて成長した青年が、その母に再会し、復讐しようとする顛末。

 しかし、映画はまず、青年・健次(浅野忠信)を追い、なかなか母(石田えり)とのことは出てきません。

健次、という青年は、最初に中国からの密入国者の入国の手伝いなどしています。

その時、孤児になってしまった中国人の少年、アチュンをひきとる。

ユリという知恵遅れの少女とも一緒に暮らしている。

 口数が少なくて、愛想がいいともいえない、カタギの生活をしているわけでもない、一見、何を考えているかわからないような健次ですが、少年やユリ、後に出来る恋人と接する時は、とても真摯な思いやりを見せます。

そんな様子を丁寧に映画は見せていく。

 そして送迎の代行運転の仕事をしているとき、たまたま再会した、自分を捨てた母。

母は再婚して、小さな運送会社を経営している。夫(中村嘉葎雄)との間には、義理の弟にあたる、高校生の男の子(高良健吾)がいる。

そこは、訳ありの人々が共同生活をしているような所で、謎めいた青年、オダギリ ジョー、母を探している、宮崎あおい、医者だったという川津祐介、そして何も言わない嶋田久作、森下能幸など・・・流れ者のふきだまりのような所です。

 母、千代子は、捨てた息子が現れてもけろり、としていて、一緒に暮らしたらどうだ?アチュンもユリも一緒に・・・暮らせばいい、という。

健次は、胸に復讐の計画があるので、それに従う。

だんだん、弟が反抗的になり、母は、自分を捨てたくせに「お兄ちゃんだけがたよりよ」などとケロリとしている。

自己中心的に勝手というより、あまりにもあっけらかんと言う。

この石田えりが、したたかで、健次からしたら、自分を捨てた女が苦しむ様を見たいのに、ケロリとして、一向にこたえない・・・そして最後の最後まで母はしたたか、なのです。

母、恐るべし。

 観客からしたら、健次が予定、予想していたような反応を示すだろう・・・というのをことごとく覆す女性を石田えり、しぶとく演じていました。

妙に憎たらしくないのです。かといって、優しさいっぱいの慈母のような人ではない。両足を大地にがっしりつけて立っている、何があっても倒れない内面の強さを見せつける。

 映画はあくまでも静かに・・・そして色々な国の楽器を使った音楽、北九州の言葉・・・そんなものが流れていく・・・その底にあるのは人間の愛憎と強さと弱さです。

 この映画にはエンディングはない、と思います。終わりない血族という物語。それは、いつまでも続くのだ、という事を示すのみ。

そういうった所も、テオ・アンゲロプロス監督のようだ・・・と見終って、思ってしまいました。

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