バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び
Ballets Russes
2007年12月30日 シネカノン有楽町二丁目にて
(2005年:アメリカ:118分:監督 ダニエル・ゲラー、デイナ・ゴールドファイン)
バレエについては、なかなか接する機会がなく、(もちろん習ったこともない)完全に素人なのですが、このドキュメンタリーはとてもわかりやすい構成になっているので、すんなり観られました。
1950年代に衰退してしまったものの・・・世界に、特にアメリカにバレエというものを浸透させたのが、「バレエ・リュス」というパリのバレエ団でした。
話は1909年にさかのぼります。
ロシア革命で全財産を奪われ、パリに逃げてきた人々の中で、バレエができる少女たちを集めて、セルジュ・ディアギレフという興行師によるバレエ団「バレエ・リュス」が結成され、パリで大人気となりました。
リュス、とはロシアのこと。つまりロシアバレエ団ということですので、団員はもちろん皆、ロシアからの亡命者の子供たちです。
しかし、天才的・・・と言われたディアギレフの急死・・・バレエは死んだ・・・といわれてしまいますが、継承者たちが現れる。
このドキュメンタリー映画の特徴は、バレリーナたちの姿だけを追うのではなく、興業としてのバレエ、そして、振付、美術といったバレエのことまでしつこいくらいに追うところです。
もちろん、若いお金のないバレリーナたちには踊ることが一番なのでしょうが、バレエ・リュスは、クラッシックだけでなく、ピカソ、ダリ、コクトー、マティス・・・などを招き、新進気鋭の振付師をやとい、前衛的で、芸術的な総合バレエ新作をどんどん発表していきます。
その中のプリンシパルが、ニジンスキーでした。
その成功の陰には必ずといっていいほど、オーナーである人々の興行的手腕、売り込み方、振付師たちの切磋琢磨があった・・・ということを強調しています。
しかし、バレリーナたちも個性があり、プリマドンナやプリンシパルの争いもあれば、オーナー同士の分裂、振付師たちの競争の結果の分裂といった試練を乗り越えながら、分裂を繰り返しながら・・・バレエ団を続けていくのです。
一見、華やかに見えるバレエの世界の舞台裏・・・これを当時、まだ子供といえる年だったバレリーナたちのインタビューで回想する、という形をとっています。
マシーンという天才的な振付師を得たバレエ・リュスはアメリカ公演を行い、大成功を収める。
しかし、オーナーの公私混同した口出し・・・財政難・・・そして世界は戦争へ・・・とバレエ団には試練が続く。
2000年にバレエ・リュスの同窓会が開かれたところから始まりますが、皆、もう、70、80代。初期のダンサーは90歳を超えている。
しかし、さすが、バレエで鍛えた人は、背筋がピンとしていて、若いころはそれはもう、素敵なのですが、年をとっても素敵な人は素敵だ、という圧巻のシーンです。
バレエ・リュスは、ベビー・バレリーナ・・・と呼ばれる12,3歳のバレリーナたちをスターにすることで注目をあびます。
しかし、ベビー・バレリーナも20歳を過ぎれば・・・ベビーではない。プリマドンナになれるのはごく少数です。
しかも、ロシア人だけでなく、バレエ・リュスはアメリカ人などどんどん新しい人材、若い人材を投入していく。
そのことによるバレリーナたちの競争の勃発。
最初はロシア人だけ、ですから、いわゆる白人だけだったのが、才能があれば人種を問わず、団員として迎える。
黒人として初めてバレエ・リュスに入ったバレリーナは、才能はあるものの、当時のアメリカの人種差別運動に巻き込まれ・・・プリマドンナの座を降りなければならない。
巡業はアメリカだけでなく、オーストラリアにも南米にも巡業に行く。
当時のプリマドンナが「観光なんて全くしなかった。バレエ、列車、バレエ、列車・・・それだけ」
バレリーナ同士の恋愛のもつれもあれば、オーナーに気に入られただけの才能のないバレリーナが、プリマドンナを独占。
怒ったプリマドンナたちが辞めていく・・・そんな人間のぶつかりあいを、これだけ出したドキュメンタリーはないかと思うくらいです。
それでも、踊り続けることに誇りを見出し、インタビューを受ける今はもう年老いたバレリーナたちは、当時を振り返るとイキイキとする。
最後に、撮影直後に亡くなったプリマドンナの言葉でドキュメンタリーは終わります。
「大したお金なんてもらえなかったけれど、踊れるだけでよかった・・・
How rich I am!」
リッチ・・・というのは金だけがリッチなのではなく、豊か、ということなんだ、というこの言葉の重み、すごいものがありました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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