次郎長三国志 第七部 初祝い清水港
2008年1月13日 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(生誕百年 映画監督 マキノ雅広(1)
(1954年:日本:89分:監督 マキノ雅弘)
さて、やっと清水港にたどりついた一行。
いきなりお正月から始まって、その準備に追われる一家です。
しかし、前回、お蝶をなくしなんとなく、おめでたいのだけれども、喪中ムードがただよっています。
自分たちを裏切った久六一家に復讐を誓うものの・・・親分は、お蝶の百日法要がすむまでは、おとなしくしていなければ・・・と子分たちをなだめます。
そんなときに、前回、子分志願でやってきた、喜代造少年(長門裕之)がかわいいのです。
まだ、少年なのに、一家をかまえました・・・とか子供を集めてぶいぶい、言うのには、次郎長一家も・・・・しょうがないなぁ・・・・・と苦笑いで、なんだかんだいってかわいがる様子がいいですよね。
純情な石松もトラブル・メーカーだった三五郎もこうして見ると、喜代造少年に比べると、貫禄のある大人ですね。
すっかり保護者的な石松と三五郎。
この映画は、大人の世界をきちんと描いている・・・というのがわかる・・・大人は大人の世界があり、子供は子供の世界がある・・・という区切りがきちんとしているのです。
もちろん、喜代造が調子にのってくると、そこら辺は大人たちが、「お前は子供だ」とぴしり、と筋を通します。
ただ、喜代造は、お仲さんにあこがれてしまう。女として、というより、亡き母の姿を見てだだをこねたりするのです。
言いよる男には、ぴしりと厳しいお仲さんですが、さすがに、子供には、そうも言えず・・・
しかし、女房お蝶が亡きあと、親分のおかみさんになるのはお仲さんだ・・・母になってくれっ!と言われて、動揺してしまうお仲。
この映画では、泥沼の恋愛模様というのは避けています。
石松も三五郎も、お仲さんに惚れているけれども、かといって、無理やり自分のものにしようとはしないし、そうさせないものをお仲はキリリと持っています。
では、お仲は次郎長親分が?というところは、なんとも潔く身をひくという。身分をわきまえているからですね。
お蝶の百箇日の法要が過ぎたところで・・・・・・とうとう因縁の久六との対決。久六は、次郎長を逃して、逆に復讐されるのがわかっているから先制攻撃に出るわけですが、そこを先読みして・・・ってほとんど頭脳戦。
そして七五郎とお園もやってきて、加勢。でも、河豚を食べようぜ・・・なんてことから、どうなる次郎長一家?
更夜飯店
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