サラエボの花

サラエボの花

Grbavica

2008年1月28日 岩波ホールにて

(2006年:ボスニア・ヘルツェゴビナ=ドイツ=オーストリア=クロアチア:96分:監督 ヤスミラ・ジェバヒッチ)

2006年ベルリン国際映画祭 金熊賞(グランプリ)受賞

 この映画は、去年2006年の東京国際女性映画祭で上映されたのを覚えています。

そう言われると立派な女性映画だと思いますが、どうもわたしは「女性!女性!」と声高に女性運動っていうんですか?女性政治家がマドンナとか言われて、派手なスーツを着て、女性の地位向上をわめくのが苦手です。

 それだったらこの映画のようにひとつの「物語」「映画」「作品」できちんと勝負していただきたい。

その方がずっと「女というものの悲しさと喜び」ってものが身にしみるのです。

 この映画は、女ならではの悲劇と喜びをシンプルな映像で貫いてしまった力強い映画です。

背景にはあの複雑で残酷なサラエボ紛争があり、主人公のシングルマザーは、その被害者ではありますが、映画で、回想、再現シーンを一切出さず、現在を常に描きながら、問いかけをしている、というのが、監督の自信であり、自己表現なのだと思います。

 12歳の娘、サラと2人暮らしのエスマ。

生活が苦しくて、ナイトクラブでウェイトレスの仕事を始めるところから映画は始まります。

もとはといえば、娘の修学旅行の費用、500ユーロをなんとか捻出しよう・・・ということなのです。

 娘には父は、サラエボ紛争で殉死したシャヒードだ、と話をしてあり、学校ではシャヒードの子供の証明があれば、修学旅行費は免除になったり、減額になったりするのです。

しかし、娘のサラは、当然、証明書があるから大丈夫、と思っていても、母は、自分で働いて全額払おうとする。

何故?証明書があればいいじゃない・・・・。

 しかし、エスマははぐらかすばかり。

裁縫の仕事のほかに夜の仕事をして、疲れてしまうあまり、娘の疑問にきちんと答えようとしない。

そんなことから起こる母と娘の間の溝。

 とはいえ、母と娘は喧嘩しながらも、仲良くやっていますが、修学旅行が迫ってきて・・・・ヒステリーを起こす娘に、とうとう母は、紛争の時の収容所で拷問と虐待から生まれたのがサラだ、とどなりつけてしまう。

 エスマは、混んだバスの中で、男性が近くに来るだけで、バスを降りてしまう。

洋服を着替える時にちらりとみえる、背中の傷。

ナイトクラブでは男たちが、媚びる女たちをもてあそぶのを見かねて、ロッカー室で涙を流す。

 そんなことをしらない12歳の娘、サラは、ただただ、優しい母でいてほしい、優しい母であるのがあたりまえじゃないか・・・と平和な時代に育った子供は「わからない」

 しかし、エスマからしたら、一番大切にしているはずの娘は、収容所の屈辱の結果でしかない・・・という大変、精神的につらい気持でいるのをひたすら辛抱している。

 そんな母の辛抱と娘の疑問が、衝突したとき、どうなるのか・・・・

 映画は、それを「のりこえる」母と娘を描いています。

大げさな主張はいらない。バスのガラスごしに見つめあう母と娘。それだけで、この映画の「辛抱と喜び」がよくわかるのだから。

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