やくざ囃子

やくざ囃子

2008年1月15日 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(生誕百年 映画監督 マキノ雅広(1)

(1954年:日本:87分:監督 マキノ雅弘)

 この映画は実は、次郎長三国志と平行して作られたという・・・1954年だから、まぁ、最後の方ですね。

だから、次郎長三国志とキャストがだぶっていたりして、それもちょっと楽しみ、ふぇふぇふぇ。

主演は鶴田浩二と岡田茉莉子。

一目惚れ映画であり、ものすごい純愛映画。

しかし、立ち会い(殺陣)もバッチリだ。

いや~~鶴田浩二、わかいですね、ピカピカしてますね。

船の中で、武家の娘、篠(岡田茉莉子)に一目惚れしてしまったやくざの弥太郎(弥太郎って名前多いんですよ、いっぱいいるの、弥太郎)

ただ、その娘は足が悪くて、今はやくざの用心棒をしている兄(河津清三郎)の元へ来たけれど、それは、「足の悪い娘など武家の嫁にふさわしくない」と縁談を断られての傷心を持っている。

こんなに「好き」って台詞がでてくる映画はないのではないでしょうか。

ただ、「好き、好き」ではなくまぁ、色々あるのですが。

やくざの男と武家の娘という身分違いの恋。

身分違い・・・というのを「好きだ」をどう言うか?というやりとりで描いていますね。

武家の娘は、惚れたを何と言うんだ?と聞くと・・・「・・・・・いとしい・・・?」

「ちがうな、なんかちがうんだよな」

・・・・というわけで、恋する2人は、「好きだ」の言い方の練習なんかします。

岡田茉莉子が、きちんとした武家の娘だから、どうも、「好き、惚れた、好き、惚れた・・・」がなんともぎこちなくて笑いを誘います。まじめな2人ではありますが、微笑ましい。

 鶴田浩二が歌いながらチャンバラします・・・っていう鶴田浩二歌謡映画でもありますね。

一目惚れした弥太郎が、「足がちゃんとしている娘なら行きずりでもいい。でも、これは真剣にならなきゃいけないんだ」と言うあたり、マキノ監督の女の人への見方の一面を見たような気がしました。

可哀想ったぁ、惚れたってことよ・・・というのは夏目漱石の『三四郎』の言葉なのですが、この場合は、「可哀想」は一切ないのです。そこら辺が潔い。

でも、歌と踊りと祭り・・・ってうれしくなってしまう、マキノ監督の映画にはコレよ、とか思ってしまう。

あと簪や笠、といった小物の小粋な使い方。まぁ、素敵。

男の人に簪を渡す、とか簪という小物がよくつかわれるし、笠を投げて表と出るか、裏と出るか・・・みたいなものもよく出てきます。

 弥太郎と篠は恋仲だけれども、なによりも兄が妹想いで、足を治そう・・・とするし、篠を連れていくならば、まず、兄を倒さなければならない。用心棒をしているくらいだから、兄は剣の達人。でも、恋に関してはとても粋な人なのだ。

立会になって、手を斬ったな・・・よし、もう、手は切れた、連れていけ!というところは「わざと」斬られたようにも思えるのです。

身体が不自由・・・そんなことよりも、一目惚れの力は強いのです。ありえないかもしれない、夢のような世界で、とてもこじんまりした映画だけれども、あちこちに、粋といなせが光る映画でした。

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