ぜんぶ、フィデルのせい

ぜんぶ、フィデルのせい

La Faute a Fidel

2008年2月11日 恵比寿ガーデンシネマにて

(2006年:フランス=イタリア:99分:監督 ジュリー・ガウラス)

 いやはや、大人は判ってくれない。

1970年代のフランスを舞台に、最初はそういう映画ですよね。

子供は親によって大きく左右されます。特にこの映画のアンナ、9歳にとっては、カソリックのお嬢様学校、夏のバカンス、大好きなベビーシッター、綺麗な洋服、大きな家・・・・それは、弁護士である父と雑誌の記者である母が「豊か」な故の恩恵。

 ところが、両親、突然「キョーサン主義」にめざめてしまった。

なに?キョーサン主義って?それはね、フィデル・カストロのことよ!なんて教わったアンナは、大好きな宗教学も親が反対して受けさせない、狭いアパートに引っ越し、「フィデルみたいなひげ」をはやした男たちがいつもたむろするようなところ、資本主義なんかダメだ、ミッキーマウスは資本主義の象徴だっ!富は分配して、皆、平等に一体感を持つんだよ!!!

 なによ、なによ、なによ!前の暮らしの方がよかった!ぜんぶぜんぶ「ひげのフィデルのせい」なんだな!

怒りをらんらんとさせるアンナを演じたニナ・ケルヴェルという子の目の演技が特に上手かったですね。

 大人を観察する子供のきょろきょろきょろきょろする目。上目遣いで仏頂面。友達ともなんとなく上手くいかなくて、でもアンナは、ふんって顔をせざるを得ない。

なんでなのぉ~~~と泣いたりわめいたりはしないけれど、両親がのめりこんでくるものには「これは何?これは何故?」と追及の手を緩めない。

 ところが母親は、マリ・クレールの記事なんて書いていたのに、女性の中絶問題にかかわるようになる。

お母さんは一体何をしているの?

父は、スペインの内乱にこころ奪われていて、「困った人同士は助け合わなくちゃ」とか言うけど、わたしは、どうなるの?わたしは?

 子供らしいといえば実に子供らしいのですが、実は子供から見た大人たちの不条理を少女の目という鏡で映した映画なので、かわいい子供が大活躍する映画ではないのです。

 でも最後、ちょっと、ほんのちょっと成長するマリアを、子供たちが手をつないで回っている中に自然にさっと入るところでさらっと見せてしまうのがとても心憎いところですね。言葉はなくても、手をつないで遊ぶ・・・それが子供ならではの一体感なのでしょうね。

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