映画に愛をこめて アメリカの夜

映画に愛をこめて アメリカの夜

La Nuit Americaine/Day for Night

2008年2月19日 NHK BSにて

(1973年:フランス=イタリア:117分:監督 フランソワ・トリュフォー)

 大好きな映画。本当に大好きな映画。

 

 この映画は高校生の時、今はなき名画座、八重洲スター座で『トリュフォーの思春期』と二本立てで観ました。

実は、観たのはこれ一回きりで、今回、BSで放映されたのを観たのは何年ぶりかっていうと・・・・○○年ぶり。

当時、タイトルはシンプルに『アメリカの夜』と記憶していました。

 アメリカの夜、とは映画撮影で、夜のシーンを昼に撮影して夜に見せる方法をアメリカの夜、と映画業界用語では言っていたことから、なので、ちょっと日本人にはピンとこないから、(わたしからしたらお節介な)映画に愛をこめて・・・と副題がついたのでしょう。

また、今回観たら、字幕が新しくなっていて、記憶にある台詞が、微妙に違っていました。

映画の中で撮影される恋愛メロドラマ映画は『パメラ』であり、『パメラの恋の物語』ではありませんでした。

(これも『アデルの恋の物語』にひっかけたお節介???)

・・・・と、む?違うぞ?と思うことができるくらい、わたしはこの映画のことをよく覚えています。

最近物忘れがひどくなってきたので、さすが十代の頃、ぐさっときた映画のことはよく覚えているんだなぁと。

 『パメラ』という息子の嫁と駆け落ちしてしまう父・・・・というメロドラマを撮り始めた映画クルーたち、俳優たち・・・のあれこれを「映画撮影を映画にする」というアイディアで、ひとつの映画として楽しめるけれど、あちこちに映画のうんちくやトリュフォー監督の映画へのこだわりが、見られるお洒落さ、スマートさ、そしてユーモラスな人間群像劇になっています。

冒頭、普通の街が出てきて・・・・・あれ?と思っていると「カット!」

これは映画の1シーンであり、エキストラたちによる「街の風景」でした、という導入部も心憎い演出です。

 主役は、ジャン=ピエール・レオで、映画スターではあるけれど、かなり公私混同している困った俳優さん、という風になっています。

つきあっている彼女を無理やり、映画クルーにしていつも一緒じゃなければ気が済まない。

やたらべたべたとつきまとう。

 そして、映画好きで暇さえあれば映画に行く!と言い張る。でもひとり、ではいられないさびしがり屋。(「(映画のセットがある)街には映画館が37もある。食事なんかサンドイッチでいい!」と言う割にはひとりじゃ、イヤ!というのが、映画好きの微妙なところを突いていて笑ってしまいました。いいな、37も映画館がある街)

わがままから・・・簡単に振られてしまう・・・その時、ふてくされてしまう姿、もうやだ、と姿をくらまして、ひとりゴーカートに乗っているところを発見されたときの、ぶすっとした顔!これが一番よく覚えているところでした。

 ハリウッドからはジャックリーン・ビセットがパメラ役として呼ばれるけれど、これもまた問題がある。

母役の ヴァレンティナ・コルテーゼは、ベテラン女優ではあっても、アル中で台詞を覚えられず、なんども台詞をとちってしまう。壁にカンぺを張ったり・・・しまいには泣き出してしまう。

「フェリーニだったら、台詞はいいの。数を適当に口に出して後でアフレコすればいいのに!」なんて監督にくいつく。

 脇役、とはいえ秘書の役の女優さんは実は妊娠していて、え、だんだんお腹が目立つじゃないか!

子猫がミルクを飲むシーンでは、子猫は言うことをきかず・・・・NGの連発。

 そしてフェランという監督をトリュフォー監督自身が演じています。

耳が悪いという設定で、補聴器をつけていますが、いつもワイシャツにネクタイという映画監督らしくない格好をしています。もう、ありとあらゆる質問をされ、判断をせまられ、俳優たちをなだめ、保険会社、プロデューサーとの板挟み、何度も即席で書き換える脚本・・・独白で「監督とはありとあらゆる質問をされる商売である」

 ジャクリーン・ビセットは、わたしが中学、高校の時、映画雑誌『スクリーン』『ロードショー』などの表紙を飾った人気女優さんで、緑色の目が美しい。

 フェラン監督が夜、よくうなされて夢に見るのはモノクロで、少年が町をコツコツ歩いているところ。

なんのことはない、子供時代、夜、映画館の『市民ケーン』の写真を盗みに行くだけ・・・という、よくある不思議な回想シーンのパロディになっていました。

 また、撮影中に届く映画の本の数々。ゴダール、カール・th・ドライヤー・・・そして最後にヒッチコック。

(トリュフォー監督は、ヒッチコック監督にロングインタビューをしていてその本は、『ヒッチコック 映画術』という本になっています)

通りの名前がさりげなく「ジャン・ヴィゴ通り」

 元はトリュフォー監督は映画評論を書いていて、監督になり、でも役者としても上手いのですね。

フェラン監督の助手というか、秘書で、制作進行から、脚本の手直しから、役者の調整まで何でもこなすアシスタントがナタリー・バイ。

かなりクールな女の人ですが、ジャン=ピエール・レオを捨てて、スタントマンと駆け落ちしてしまう女の子に言う言葉

「私だったら男より映画をとるわ」

この言葉が、この映画をよくあらわしているような気がします。

また、アル中でトラブルメーカーだったヴァレンティナ・コルテーゼが自分の出番が終わってさよならパーティの時

「この商売は不思議よね。やっと気心が知れたと思ったら、もうお終い。それの繰り返し」

 よくメイキングにある映画を作るという苦労を描くというより、映画を作る人々の悲喜こもごもをドラマにしてしまうあたり、まだ高校生で子供ともいえるわたしにも、映画の素晴らしさ、楽しさを教えてくれた。映画の良さを教えてくれた。

そんな記念碑的な映画なのです。

考えてみれば当たり前ですが、映画というのは、人間たちが作るものであり、出ている俳優たちも人間であり、それを楽しむのも人間である、という妙に人間味にあふれた、そして全編通してとても上品なおだやかさが貫かれています。

 今、コンピューターやCG・・・特撮があふれていて、人間味が薄れてしまっているような気もしましたね。

この映画でも、「こんなセットを作って撮影をする映画は『パメラ』が最後だろう」という監督の独白があって、あながちその後の映画の機械的進歩と逆に後退してしまうことになる人間くささのある映画・・・をきちんと見抜いていたのだなぁ。

 ちなみに今回再見して、思い出したのは音楽。てきぱきと撮影が進む時に流れる、あの音楽。

NHKの映画音楽の番組でテープにとって何度も聞いていたあの音楽にじーんとしました。

音楽担当はジョルジュ・ドリュー。

トリュフォー監督ともよく組んでいるけれど、他にも『まぼろしの市街戦』とか、もうすごい映画の音楽を手掛けている人でした。興味ある人は調べてみてね。

わたしは、びっくりしましたなぁ。

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