おとうと
2008年2月26日 DVDにて
(1960年:日本:99分:監督 市川崑)
原作は幸田文。
幸田文の父は、幸田露伴ですね。
幸田文の自伝的な小説で、17歳で結核で死んでしまった弟についてなのですが・・・・
映画は、前半は元気いっぱい・・・というかキレイで気丈な姉とやんちゃで、不良というか、ぼんぼん不良の弟、小説家で家のことに口を出さない父、継母はリウマチで体動かず、口ばかりだす・・・
映画は、この家族、4人だけしか描かないといってもいいほど、焦点を家族にあてています。
美しくて、気丈で、弟の母代わりの姉、げん(岸恵子)とちょっと困った不良少年、碧郎(川口浩)に焦点をよりしぼっていますが、父と義母の描き方というのがね。
特に、後妻で、継母である田中絹代が、とても不気味でしたね。
リウマチで手も足も不自由で寝たきり、そして熱心なキリスト教徒なのですが、家のことはなんでもげんにやらせ、口からでるのは、なんだか、きれいごとのような言葉でも、ひどく冷淡で、残酷で、身勝手なことをあくまでも、「私のような敬虔なクリスチャンの言うことがすべて正しい!」のように迫っていいつのるあたり・・・2人の子供が全く親しみを持てないのも十分納得なんですね。
そしてクリスチャン仲間の岸田今日子に、女の子も男の子も難しくてならない、かわいくない、言うことをきかない、本当に困ったものだ・・・と愚痴愚痴言うんですよね。そんなのは、昔の日本家屋では丸聞こえなんですよ。
姉は、もう20歳だから、相手にしない・・・というかわしかたができるけれど、弟は、とにかく家は嫌で、外で遊んでばかり。
それに対して、作家である父は、実子に甘いのです。特に長男である弟には甘い。問題を起こしても、借金をつくっても・・・姉と父が弟を守っている。
そんな「血族」の中に入れない、母・・・・が、また、イライラ、キリキリ、厭味、たらたら・・・・。
しかし、病気が発覚してからは、映画のテンポ、リズム、陰影が前半と対照的になるのです。
余計な人物は出さず、父、継母、姉、弟・・これだけにしぼってしまって・・・・びっくりしたのはラストシーン。
こういうのもありだったか、なんて。
観た方は、わかると思うのですが。
大正後期?昭和初期?の生活や服装などとても綺麗。
向島に住んでいた・・・幸田一家ですから、大ロケーションをしているわけでもないのに、この映画の終わった後の、なんというか寂寞感というか・・・
結核の転地療養にも世話をするために、姉のげんは、碧郎についていく。
夜、眠れないときに一緒に話をしてほしいんだ・・・起きられないなら腕をリボンで結んでおこう・・・そのリボンがピンク色で、なんとも艶めかしいんですよね。
姉と弟ではありますけれど、そこにある「女と男の絆」というものを見事に映し出した名シーンだと思います。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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