昭和残侠伝 死んで貰います

昭和残侠伝 死んで貰います

2008年3月8日 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(生誕百年 映画監督 マキノ雅広(2)

(1970年:日本:92分:監督 マキノ雅弘)

 この昭和残侠伝シリーズは、マキノ監督が最初から手掛けていたわけではありません。

シリーズ4作目から4本撮っていて、これは第7作目にあたります。

 やくざ・任侠ものが流行って・・・それがゆえにワンパターンになってしまったところへの(山田宏一さん説明によると)マンネリしたシリーズへの「梃入れ」のひとつ、であり、シリーズ最高作と言われています。

 舞台は東京の木場なんですが、マキノ監督の自伝によると祖父が千場で同じような木材運送の仕事をしていて、子供のころからよく知っているその雰囲気をこの映画に投入している、とのことです。

 木場の材木廻船業の縄張り争いに巻き込まれてしまう男、秀次郎(高倉健)

老舗の料亭の跡取り息子だったものの、父の再婚で離反、やくざになってしまったのが出所するところから始まります。

その前に、ちらっと、喧嘩をして傷ついた秀次郎を、芸者の見習だった女の子(藤純子)に助けられるという出会いがあります。

監督自身、父、省三亡きあと、母と弟と離反する形になってしまった・・・という苦労もにじみでているような。

 老舗の料亭の板前で、実質、料亭を守っているのが重吉(池辺良)で、秀次郎を板前として快く受け入れる。

しかし、料亭の後ろだてになっているのは実質やくざ・・・なのですが、廻船業界も仕切っている。

どうにも秀次郎には、不利なことが多いのですが、耐えに耐える・・・健さんです。

 そして今は花形芸者となった藤純子との再会。

料亭が、無謀な跡取り息子のせいで乗っ取られそうになるのを必死に守ろうとするのは、どちらかと言うと重吉・・・池辺良なのです。

池辺良の耐える姿、というのも丁寧に撮っていますね。

健さんは、一応、池辺良の庇護のもとにあるわけだから、あまりあれこれ、率先してできない。その分、池辺良の耐えながらも店を守る・・・という点を強調しています。

 芸者の藤純子は、顔形もきれいですが、やはり芸者の身のこなし・・・というのは、マキノ監督自身が実際、こうやるんだ、とすべてやってみせたそうですが、実に所作が美しい。着物を着ているからこその手の動き。裾裁き、ふすまを開けるときの所作なんて流れるように優雅であり、芸者、といっても気品はあるのだ、という強調の仕方をしていますね。

 話はちょっとずれますが、マキノ監督は女の人のしぐさや台詞まわしをすべて自分でやってみせることができた・・・というのは、女優さんたちが証言?していることなのですが、某映画評論家大先生の解説によると「(溝口健二監督と違い)女優はマキノ監督の真似ができればいい、ということだ」・・・と書かれていました。

 でもですねぇ、マキノ監督自身の話によると、その「真似」が全くできない女優さんのほうが多かった・・・実際、今の映画でああいう所作、しぐさができる女優さんは時代劇でもいないのです。

真似、というと簡単なようですが、これは演技の才能というもので、演技指導の仕方の違いというだけでしょう、、、、とわたしは、鼻をふくらませて思うのでした。(映画評論家先生が何を言ってもわたしはマキノ監督びいきなんですよ)

 さて、とうとう悪徳やくざがのしてきて、池辺良と高倉健は、ドスを持って、耐えかねて乗り込んでいくのだ。

言葉を交わさなくても、わかりあって、黙々と討ち入りに向かう男、2人。渋い。

このシリーズの元となっているのは「忠臣蔵」なんだそうで、だから、耐えに耐えて、耐えかねて討ち入り、なんですね。

ですから、この映画には、明るさ、軽さ、笑いよりも、悲劇を覚悟して、討ち入りにむかう・・・という重苦しい雰囲気があります。

最後の大暴れも、1970年ともなりますと、血がどばっ!なところもありますが、障子に血がさっと散る・・・という描き方で、やはりマキノ監督は血や死を露骨に、無粋に見せることには抵抗があったんだな、と思います。(プロデューサーは、観客が喜ぶような血、どばどばをやれ、と随分、葛藤があったらしいです)

 この映画で、やはりやくざの若者が長門裕之で、風呂で高倉健に「さすが、背中の唐獅子牡丹が泣いてるねえ」と言いますが、あの橋本治が東大時代に作った有名なコピー、「泣いてくれるな、おっかさん。背中の銀杏が泣いている」の元はここ、でしたね。

まぁ、どうでもいいような発見。

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