弥次㐂夛道中記

弥次㐂夛道中記

2008年3月16日 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(生誕百年 映画監督 マキノ雅広(2)

(1938年:日本:96分:監督 マキノ正博)

 これは、娯楽要素とアイディアとパロディと歌が満載の楽しい時代劇ミュージカル。

時代劇とミュージカルの合体・・・とにかくマキノ監督の映画は歌と踊りが楽しいのです。

それは、本格的にお座敷遊びを御曹司として若いころから、知っているからこそ、の芸の細かい描き方で、今の時代どんなに時代考証をきちんとやっても、こういうところは、「実際、知っていた」にはかなわないのだなあ、と思います。

昔は良かった、、、とだけは、思わないのですが、かといって、全く昔を無視する、忘れてしまう、考えないというのも、どうかなぁ、と思うんですね。

マキノ監督の映画は、娯楽性にあふれていても、実にそこら辺の「遊び方」が筋通っているというか、本物だあ・・・と感心するんです。

 この映画は、東海道中膝栗毛と、遠山の金さんと鼠小僧のアイディアを合体させたもの。

まだまだ、名奉行になる前の放蕩息子が片岡千恵蔵。

鼠小僧が杉狂兒。

この2人が、ひょんなことから東海道の道連れに・・・・そこには本物の弥次さんと喜多さんがいて、それがディック・ミネと楠木繁夫の歌手の2人で、歌をたくさん歌います。(2人の歌を書いているのは古賀政男)

 お互い本名を隠して、やじさんときたさん・・・でいこうじゃないか・・・と意気投合する2人。

お金をすられて、飛び込んだ旅芸人の一座。

 片岡千恵蔵は若々しくて、放蕩ぶりも踊りもきまっていますし、後に名奉行になってからは、とても堂々として立派です。

また、鼠小僧は義賊であって、殺人はしないのに・・・誰かが、鼠小僧の名をかたって、非道な人殺しをやっている・・・なんとか偽物をつかまえたい。

 全体を貫く明るい、あっけらかんとしたムードに加え、半年後、日本橋で再会して、本名を名乗ろう・・・・ということになりますが、

いざ、その時がくると、片や、お奉行様、片や、盗賊・・・・だった・・・では、どうなる・・・というサスペンス的な要素もあります。

 娯楽映画といっても、いろいろで、マキノ監督の歌や踊り、人情もの、アイディア満載・・・というところは、今の映画では見当たらない、逆に新鮮なものを感じます。

最近の時代ものって、どうしても役者さんが現代風の若者だったりして、無理があるなあ、と思うのですが、そこら辺は、「時代劇部」として時代劇をたくさん作ってきた(だから逆に現代ものはめずらしい、と言われる)マキノ監督のセンスが光ります。

 純粋に観ていて、笑って、楽しんで、人情にほろりとして、遠山の金さんのお裁きに胸がすかっ!

役者もアイディアも、今思うととても贅沢な一本。ただの娯楽なんて言わせないわっ。 

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