4ヶ月、3週と2日

4ヶ月、3週と2日

4 luni, 3 saptamani si 2 zi

2008年3月16日 銀座テアトルシネマにて

(2007年:ルーマニア:113分:監督 クリスティアン・ムンジク)

2007年カンヌ国際映画祭パルムドール(グランプリ)受賞

 損な役回りばかりしてしまう人、というのがいます。

「自分は損だ」という自覚や不満がある人は、実際はそんなことなくて、自覚がないまま、「損な役回り」をしている・・・そんな事を思うときがあります。

わたしは、今はどうか自覚はないのですが、過去、振り返るとなんだか、そういう事だったのね・・・と思うことがあります。

昔のことだから、「振り回した人」は、とっくに忘れていることでも、なんだかなぁ、損だったね・・・ともうどうしようもないことを、ぐるぐると考えることがあるんです。

 そういう思いがあるとこの映画の主人公、大学生のオティリア(アナマリア・マリンカ)が、一見、冷静に見えてもなんだか、そこまでしなくてもいいのに・・・・と思ってしまいます。

オティリアの立場になって、映画に入りこめるか、この映画の主人公、オティリアは「物事の主人公でなくいつも脇役」なのに、なにがなんだかわからない・・・どちらかだと思います。

 オティリアが奔走するのは、ルームメイトが妊娠してしまって、この時代、1987年のルーマニアでは中絶は違法なので、闇医者に・・・頼む・・・ということです。

チャウシェスク政権のころは、法令770号というのがあって、労働力確保のために産めよ、増やせよ・・・とにかく子供を産め・・・中絶は問題外・・・という厳しい法律があったのですね。

 だから、ホテルをとって、闇医者を呼ぶと、医者は異様に神経質で、ばれることを恐れる。高い金をとる。手術といっても、ささっとやって後は勝手に自分で処理しなさい、みたいなね、驚きの連続。

 肝心のルームメイトは、すべてオティリアまかせ・・・いいかげんで、無自覚で、腹たつくらい甘ったれています。

こんな自分が可哀想・・・とばかりに、いい加減。どのくらいの費用がかかるかも、交渉できないし、自分が今、何か月なのか、そんなこともはっきり言わないから、医者は怒ってしまう。その尻ぬぐいをするのはすべて、オティリアです。

さすがのオティリアも、ルームメイトに「いい加減にしなさいよ!」と怒るけれど、最後の最後まで、心配して、もう、しらない!とは言わない。

 そんなとき、なんにも知らないボーイフレンドが、母の誕生パーティに来てよ、と言います。

行けない、というとむくれる男の子。母に紹介したい、というより、後で部屋で・・・なんて勝手な事を言います。

ルームメイトが、ホテルで苦しんでいるのを抜け出して、パーティに行く、オティリア。

パーティでは、母の友人たちが盛り上がっていて、オティリアなんて無視。

このシーンは、オティリアがテーブルに座って、気まずく黙っているのを、回りの大人たちがえんえんと勝手なことをしゃべり続ける・・・という長いシーン。

だんだん、早く帰りたい・・・というオティリアの気持が、黙っている分、無視されてしまっている分、際立ってきます。

 前半は、テキパキと行動するオティリアですが、後半、ホテルとパーティと・・・にしばられて、なんで、こんなことに・・・と憮然をしているオティリアの緊張感が、すごく伝わってくるのですね。

 そして、最後の最後・・・まで、勝手なルームメイトにボーフレンド。オティリアは黙ってそれを受け入れる。

声高に政治を訴えるのではなく、ある女の子の奔走する一日の緊張だけで、映画にしています。

タバコや、石鹸やシャンプーも闇で買わなければ手に入らない、窮屈な生活感の出し方もいいです。

これは監督のインタビューで知ったのですが、移動するオティリアが、バスの切符を買う時間がなくて、横にいる男の子に切符ある?と聞くと、さっと手渡し・・・という不思議なシーンがありました。

 これは、物が手に入らない共産主義時代の圧政の時、影で助け合うということがよくあって、バスの切符を共有して・・・というのは普通に行われていたことだそうです。

そんなところも、あとから知ったわけですが、なんとも友人恋人だけでなく、窮屈な社会を生き延びる女の子の強さ、みたいなものが共感を呼ぶのですね。

観終わった後から、じわじわと来る映画。ラストシーンが唐突なようですが、逆にあれが良かったですね。 

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