いのちの食べ方

いのちの食べ方

Our Daily Bread

2008年3月20日 渋谷 シアター・イメージフォーラムにて

(2005年:オーストリア=ドイツ:92分:監督 ニコラウス・ゲイハルター)

 ラジオで映画紹介をしている永六輔さんが、この映画について「すべての人に観てほしい、特に子供に観てほしい。ただ、食事の前に観ない方がいい」と言っていたそうです。

永六輔さんとは映画の見方が違うな・・と思うけれど、この映画については同感です。

 ナレーションも、音楽も、字幕での説明も一切ない「食材がいかに、育てられ加工されるか」を淡々と追ったもの。

これは、どこで何をしています・・・・という説明などは一切、排除してしまい、ただただ、見せるという。

この映画に余計な説明はいらないんですね。

何故ならば、食べるということは人間である以上、必ず必要なことであり、「これは何をしているのか」は万国共通にわかることだからです。

しかし、出来あがった料理について、また、料理法について、美味しいお店について・・・は、いやっていうほど情報があふれているのに、「食材」に目をつけたところがこの映画の鋭いところです。

普段、もう「食材」として当然のように、買い、手にいれ、料理している、肉、野菜、魚・・・がいかに育てられ、加工され・・・人間の口に入るのか・・・学校でも見せないですね、こういう世界。

 飽食してしまって、それでもまだまだ美味しいものが食べたいと、騒いでいる人間にガツンと一発・・・と観た方は思うのですが、映画を貫くスタイルは、訴えのない「観察」という・・・ドキュメンタリーも色々あるのですが、わたしが好きなのは、意見や訴えを露骨に押し付けてくるものよりも、こんな世界が・・・という「観察の結果」を見せてくれるものです。

 ベルトコンベアで次々と流れてくるひよこたち、仕分けられて、乱雑に箱詰めに。

たくさんの食用豚たちが、次々と・・・、また、牛を人口受精して、子牛を大量生産・・・そして食材となっていく・・・

ペットなど動物を愛玩していると、かわいそう・・・な、残酷な気もするけれども、でも、これは殺しではありません。

すべて、人間様が生きるため・・・なのです。

そして、その工場で働く人たちも、立派な仕事であり、別に悪いことをしているわけではありません。

 この映画の特徴は、食用動物や野菜だけでなく、加工に使われる機械をたくさん見せることです。

加工するために、こんな機械が使われているのか・・・・というびっくり。

一匹ずつ殺していくなんてことはしません。極めてオートマティックです。

たとえば、アーモンドの幹に機械を固定して、ががががが・・・とゆらして一気にアーモンドの実を落とす機械は、知ってはいたけれど、こうしてみると衝撃的。

動物虐待、というより、植物虐待であります。

食べていかなければ生きていけない、人間の業みたいなものを感じますが、でも、これは現実として必要なものでもある、とも思うのです。

 また、工場で、黙々と食材に向かう人々が、昼食をとる・・・食べるというシーンも多く出てきます。

工場で、食材として、動物を殺していても、人間は食べなければならない。「食べる」ということをここまで上手く出した、観察し抜いた映画は初めてです。

 また画面構成は、妙に律儀に左右対称という構図が多いのです。

広大なひまわり畑の上を低空飛行して農薬を散布する飛行機・・・なんて、とてもきれいな絵になっていますね。

 この映画を観た直後は、ちょっと肉が食べられなくなりましたが、時間が経った今、食べ物は残さないようにしていますl。

食べ物を大切にする・・・口ではなんとでも言えるけれど、この映画、一本観た方が説得力はあります。

飽食しても、文句を言う、自称グルメ、、、そしてやはり子供たちや若い人にこの映画を観てほしいと思いますね。 

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