悪名一番勝負

悪名一番勝負

2008年3月29日 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(生誕百年 映画監督 マキノ雅広(2)

(1969年:日本:95分:監督 マキノ雅弘)

 2008年1月から3月まで110本のマキノ監督映画を上映したものの、自分としてはラストになりました。

これは悪名シリーズというものの15作目ですが、勝新太郎と田宮二郎のコンビで人気だったものの、田宮二郎が出られなくなり、監督もマキノ監督になりました。

 河内の朝吉という流れ者が勝新太郎なんですが、もう、めちゃくちゃ喧嘩が強い・・・というのが冒頭、ばばばっと描かれます。

ちゃっかりしていて、太っ腹で、でも正義感が強くて・・・というただの暴れ者ではない、という抑制のきかせ方が、とても愛嬌があるのです。アクションひとつにしても、他の役者と違う、笑ってしまうような、強引とも言える暴れ方なんかいいですね。

 マキノ監督はこのころ、日本侠客伝シリーズを撮っているのですが、高倉健のような無骨な真面目な男らしさ、というよりも、なんだか子供っぽくて、ガキ大将みたいだけれど、憎めない、頼りになる兄貴・・・そんな勝新太郎の魅力満載。

体はごつくても、なんとも、目が、瞳が「ひよこのようにつぶらな目」をしているのですね。

座頭一シリーズでは盲目、ということでその目をいつも閉じることになった・・・というのがもったいない気すらする、かわゆい瞳。

 話は長屋がやくざに乗っ取られそうになるのを、様々な人たちがからんで救う・・・というものなのですが、最初に謎の美人、おりん(江波杏子)と出会います。

東京の老舗を守ってきたものの、もう家はつぶれそう・・・もう身を売るしかない・・・と思いつめた表情には、朝吉は興味を示さない。

殴られ屋をやってまで、金を調達するけれど、手は出さずに・・・

 そして数年後、長屋に住むようになった朝吉は、お浜(安田道代)と出会います。

長屋には様々な人がいます。でもやくざに乗っ取られそうだ・・・と朝吉は、なかなかの策略家でもあるので、正面衝突せずに、騙し合いに近いやりとりをするのです。

高倉健だったら、耐えて忍んで、耐えきれず・・・討ち入りなのでしょうが、勝新太郎は、したたかもんです。

あっちに根回し、こっちに根回し・・・そこら辺がコン・ゲームのように、面白いです。

 江波杏子は、老舗のお嬢様から身を落として、今はやくざの囲いもの・・・として流れの壺ふりになっている。

きりっとした姿の江波杏子に比べ、変幻自在で自由にイキイキとしているのが安田道代・・・という対比のさせ方もいいですね。

どちらも着物が綺麗なのですが、着物の種類が違うんですよね。そこら辺の着物への細かいこだわりなど大変美しい。

再会した江波杏子の変貌ぶりに、さすがの朝吉も驚きますが、気になる存在。また、お浜とも憎からぬ仲になる。

そんな朝吉を、長屋の主が「遠くて近きも、近くて遠きも男女の仲ですぜ・・・」と言うところなんか粋ですね。

 お浜は、芸者をしているけれど、政吉(田村高広)と夫婦同然の仲。政吉はもとやくざですが、絵師と呼ばれている。

それは、日本中のやくざの人物関係にとても詳しい、絵が描けるくらい情報を持っているというのが影の仕事。

政吉と朝吉はそれを上手く使って、悪者やくざ(これが、年とった河津清三郎でした・・・昔はお調子ものをよくやっていたのに)を翻弄する爽快さがあります。

 いつもマキノ監督は長屋の貧しい人々の味方ですね。威張って、暴力で迫ってくるやつがだいたい悪者です。

そして、最後・・・・「俺は、警察に行くのか?病院か?」と聞く朝吉に・・・というなんともいえない余韻を残す映画でした。

単なる悪者対正義ではなくて、人情の絡ませ方なんかとても上手いのです。

勝新太郎もなんだか、イキイキと暴れん坊やってました。もう映画の快楽といってもいいかもしれません。

2008年3月29日 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(生誕百年 映画監督 マキノ雅広(2)

(1969年:日本:95分:監督 マキノ雅弘)

 2008年1月から3月まで110本のマキノ監督映画を上映したものの、自分としてはラストになりました。

これは悪名シリーズというものの15作目ですが、勝新太郎と田宮二郎のコンビで人気だったものの、田宮二郎が出られなくなり、監督もマキノ監督になりました。

 河内の朝吉という流れ者が勝新太郎なんですが、もう、めちゃくちゃ喧嘩が強い・・・というのが冒頭、ばばばっと描かれます。

ちゃっかりしていて、太っ腹で、でも正義感が強くて・・・というただの暴れ者ではない、という抑制のきかせ方が、とても愛嬌があるのです。アクションひとつにしても、他の役者と違う、笑ってしまうような、強引とも言える暴れ方なんかいいですね。

 マキノ監督はこのころ、日本侠客伝シリーズを撮っているのですが、高倉健のような無骨な真面目な男らしさ、というよりも、なんだか子供っぽくて、ガキ大将みたいだけれど、憎めない、頼りになる兄貴・・・そんな勝新太郎の魅力満載。

体はごつくても、なんとも、目が、瞳が「ひよこのようにつぶらな目」をしているのですね。

座頭一シリーズでは盲目、ということでその目をいつも閉じることになった・・・というのがもったいない気すらする、かわゆい瞳。

 話は長屋がやくざに乗っ取られそうになるのを、様々な人たちがからんで救う・・・というものなのですが、最初に謎の美人、おりん(江波杏子)と出会います。

東京の老舗を守ってきたものの、もう家はつぶれそう・・・もう身を売るしかない・・・と思いつめた表情には、朝吉は興味を示さない。

殴られ屋をやってまで、金を調達するけれど、手は出さずに・・・

 そして数年後、長屋に住むようになった朝吉は、お浜(安田道代)と出会います。

長屋には様々な人がいます。でもやくざに乗っ取られそうだ・・・と朝吉は、なかなかの策略家でもあるので、正面衝突せずに、騙し合いに近いやりとりをするのです。

高倉健だったら、耐えて忍んで、耐えきれず・・・討ち入りなのでしょうが、勝新太郎は、したたかもんです。

あっちに根回し、こっちに根回し・・・そこら辺がコン・ゲームのように、面白いです。

 江波杏子は、老舗のお嬢様から身を落として、今はやくざの囲いもの・・・として流れの壺ふりになっている。

きりっとした姿の江波杏子に比べ、変幻自在で自由にイキイキとしているのが安田道代・・・という対比のさせ方もいいですね。

どちらも着物が綺麗なのですが、着物の種類が違うんですよね。そこら辺の着物への細かいこだわりなど大変美しい。

再会した江波杏子の変貌ぶりに、さすがの朝吉も驚きますが、気になる存在。また、お浜とも憎からぬ仲になる。

そんな朝吉を、長屋の主が「遠くて近きも、近くて遠きも男女の仲ですぜ・・・」と言うところなんか粋ですね。

 お浜は、芸者をしているけれど、政吉(田村高広)と夫婦同然の仲。政吉はもとやくざですが、絵師と呼ばれている。

それは、日本中のやくざの人物関係にとても詳しい、絵が描けるくらい情報を持っているというのが影の仕事。

政吉と朝吉はそれを上手く使って、悪者やくざ(これが、年とった河津清三郎でした・・・昔はお調子ものをよくやっていたのに)を翻弄する爽快さがあります。

 いつもマキノ監督は長屋の貧しい人々の味方ですね。威張って、暴力で迫ってくるやつがだいたい悪者です。

そして、最後・・・・「俺は、警察に行くのか?病院か?」と聞く朝吉に・・・というなんともいえない余韻を残す映画でした。

単なる悪者対正義ではなくて、人情の絡ませ方なんかとても上手いのです。

勝新太郎もなんだか、イキイキと暴れん坊やってました。もう映画の快楽といってもいいかもしれません。

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