ぼくの伯父さん

ぼくの伯父さん

Mon Oncle

2008年5月16日 DVDにて

(1958年:フランス=イタリア:120分:監督 ジャック・タチ)

 映画というのは最初の10分、いや、5分が大事・・・なんです。

映画に限ったことではないのですが、出だしというのはとても大切なんですね。

映画には色々な手法があるわけで、こういうのは、ヤダ、とか、こういうのがいい!というのはないのですが、実際、映画を観はじめて、最初の10分で、内容がなんであれ、なんとなくわかるものがあります。

映画の筋ではなく、空気のようなもの。

この映画は、最初に5匹の犬がちょろちょろするんですが、そこでもう、あ、これ、いいっ!!!!って、久々に映画のアンテナが頭に立ちましたよ!

 なんということもない下町の風景に犬がころころと歩きまわるだけなのですが、そこから醸し出される、のどかな、のびやかな、色と空気にキュってなりました。

犬が堂々とおしっこをする、のですが映画ではなかなかお目にかかれないけれど、この映画の犬たちは、本当にのびやかに、あちこちにおしっこをします。

 映画は、プラスチック工場の社長さんの息子、ジェラール君が学校に行くところから始まります。

お金持ちのお父さん、そんな家が自慢でならないお母さん。モダンな何もかもオートマティックでボタンひとつで動く家。

でも、何をするにも、お母さんは、ボタンを押しに走っていくっていうところが、なんともおかしいのです。

庭には、ちょっとおまぬけな顔した、悪趣味といえば悪趣味な魚の形をした噴水があり、口から青い水が出ますが、お母さんは自慢したい人が来ると、走っていってボタンを押し、見せつけるけれど、それがどうでもいい人だと知るとまた、水を止めるためにあわててボタンを押しに走る。

それが後々まで、あの手、この手で繰り返されるところが、また、おかしいです。

 ジェラール君は、立派な自動車で学校まで送ってもらいます。

お母さんの兄、ユロ伯父さんにあずけられることがありますが、俗物な金持ちの両親と正反対の伯父さん。

ジェラールは伯父さんが大好き。

がらんとした無機質な家、なんでも機械が作る食事にはうんざり、だけれども、伯父さんが学校に迎えに来てくれて、悪がきたちといたずらしながら、道草しながら、遊びながら、泥だらけになっても伯父さんは、なんにも言わない。

野原に、揚げパン屋がいて、汚い手でこねこね、と揚げパンを売っていても、伯父さんにねだれば、何も言わず、買ってくれる。

子供たちがするいたずらは、道行く大人に遠くから口笛を吹いて、はっとした瞬間、目の前にある街灯にガツンと頭をぶつけるかどうか・・・の賭けだったりします。

 伯父さんは、下町のアパルトマンの最上階に住んでいます。

エレベーターもなく、とんとんと階段を上る伯父さんの姿が、ちょいちょいっと見える仕組みになっているのも粋。

 この映画はほととんど台詞がなく、喋るのはうるさいお母さんとかで、ユロ伯父さん(ジャック・タチ監督自身が演じている)は、飄々として、パントマイム風。

伯父さんはうるさいこと、全く言わないので、言葉はいらない。

 サイレント映画やパントマイム風の動き・・・がとても洗練されていて、映画のテンポも小気味よく、ポンポンと進む。

無職な伯父さんを無理やり結婚させよう、就職させよう、息子から離れさせよう・・・といくら、妹夫婦が、お節介をやいても、 すべて、無駄。

 この映画は「無駄なことが、一番すばらしい」と言っているような気がします。

ユロ伯父さんと、口うるさいお金持ちの両親だったら、無駄ばかりしてる伯父さんのほうが、子供は(犬も)大好きなのです。

そんなところも、皮肉、風刺・・・というよりも、ほのぼのさせて、笑わせて、面白可笑しくみせることで、とても軽い、軽妙で洗練されたものを感じます。

変な力みのない、無駄ばかりの伯父さんという姿を借りて、何もないことの豊かさ・・・というものを謳歌している、小粋な映画。

また、テーマ曲というか、アコーディオンとピアノの、♪ぴんぽろぴ~~~ん♪というフレーズの使い方なども、粋で可愛らしい。

 そして、伯父さんが去ってしまった後、犬たちはまた、(おしっこをしながら)ほろりぽろりとウロウロするんですね。

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