ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

There Will Be Blood

2008年6月10日 日比谷シャンテシネにて

(2007年:アメリカ:158分:監督 ポール・トーマス・アンダーソン)

 力強い映画。底力のある映画。

わたしはそんな映画を求めています。

描いているものが何であれ、観ている者を圧倒し、ひきずっていくような力を持つ映画。

この映画は、そんな「希少な映画」のひとつでした。

 この映画は、今年のアカデミー賞で主演のダニエル・デイ=ルイスが主演男優賞をとった他、様々な映画賞を総なめにした・・・くらいの知識しかなく、観る直前になっては、うわ、158分もあるんだ、この映画・・・と、「映画は90分がベストである」わたしは恐れをなしてしまいました。

しかも、監督は「あの」『マグノリア』のポール・トーマス・アンダーソン監督です。

 しかし、映画が始まるとそこは、20世紀初頭、金を採掘しようとして泥まみれになるダニエル・デイ=ルイス、テキサスのほこりっぽいような乾いた空気に、音楽は、不協和音の連続のような・・・ぶわわんんんんん・・・という音楽。

 そして数年後、今度は石油で一山あてよう・・・・とするダニエル・プレンビュー(ダニエル・デイ=ルイス)・・・・どろどろとした「汚い血」のような石油を掘り当てて、真っ黒になりながらも喜ぶ。その脇には男の子の赤ん坊がいます。

 そして、石油成金になったダニエルの前に、気の弱そうな青年(ポール・ダノ)が現れて、自分の家の周りには石油が出る・・・この情報を信じるかどうか・・・そして結果的には、青年の家の周りでは石油が・・・・・。

 さて、これは石油が出るかどうかの話ではありません。

石油というのは、ある一種のメタファーであり、舞台装置です。

 幼い男の子、息子、HWを連れて、土地を買い取る策略をして、人を雇い、石油を運送する道を確保して・・・かなり大がかりな事業を次々と展開するダニエル。

時には、人々の前で、石油からの富を語り、現場では指揮をとる。

母親は、出産で死んでしまったというけれど、息子をかわいがっている様子。どこへいくにも後継者、として息子を連れて歩く。

 しかし、ポールと名乗る青年のいる土地に行くと、そこにいるのは、’弟’のイーライという青年。

この青年がくせもの・・・・になるんですね。

ポール・ダノは『リトル・ミス・サンシャイン』で、誰とも口をきかない気難しいティーンエイジャーのお兄ちゃんを演じた人ですが、この映画では、石油という富にひたすら飛ばそうとする、ダニエルの眼の上のたんこぶ・・・のような気難しい役です。

第三教会というキリスト教の熱心な信者・・・のような感じなのが、だんだん、伝道者であり、かなりあやしい狂信者です。

 ポールは全く出てこないで、弟イーライが出てくる。ここのところ、説明はないのですが、ポールとは何者なのか、イーライとは何者なのか、映画は上手くぼかしています。

 宗教なんか全く興味なく、無神論者であるダニエルは、ことごとくこの青年と衝突する。

石油事業を進めたいけれど、そこに必ず、第三教会、というもの、イーライという青年がちらほらとするのが鬱陶しいのです。

しかし、無視するわけにもいかず、そこは上手くやっていくダニエル。

 そんなとき、ダニエルの息子、HWが石油採掘場での事故で聴力を失う。

そして、ダニエルの異母兄弟だ、というヘンリーという男も現れる。

石油の成功をしたダニエルの周りに人が集まってくる。

 この映画が後半から終わりにかけて、すごくなっていくのは、ダニエルの憎悪の増幅です。

ダニエルは、「人を嫌悪」をしている。とにかく人が嫌で、でも自己嫌悪に陥ることなく、表情を変えず、人を憎悪する。

この憎悪がだんだん、怪物のようになってくるのです。

何がダニエルをそうさせたのか・・・それは描かれません。

とにかく、ダニエルが石油を採掘し、金儲けするのは、「人を憎み、早く離れてしまいたいから」と言うところは、無表情なだけ、ぞっとする迫力があります。

 そして、イーライと時には言葉で、時には暴力で対立します。

ダニエル・デイ=ルイスもすごいのですが、それに「宗教という偽善」で迫っていく、ぶつかっていくイーライもすごいですね。

ダニエル・デイ=ルイスは、ものすごくスタイルがよくて、汚い格好をしていても、いいスタイルをしていますが、ポール・ダノは背は高いのになで肩で、妙に足が大きく、アンバランスな体つきをしています。

この2人はとにかく「憎み合う」・・・しかし離れられない。

 血のような原油、ダニエルが自己欲のため、憎悪のために流していく血、そして、父と子、親子という血族の血、酒におぼれていくダニエルの酒・・・すべてが「血」のメタファー。

ダニエルは、体を張って、身を削って、自分の血を流して石油を掘り当てようとする。しかし、その底にずっと流れている憎悪という血の流れ。

これが、この映画の底にずっと流れていたのだ・・・・とどんどん、観ていくうちにわかってきます。

 そして、最後にここまでやるか・・・・と監督は手を緩めない。憎悪、憎悪、憎悪・・・もう、ダニエルは憎悪の鬼ですが、それでも表情は変えず、一見、紳士であったり、労働者であったり、父親であり、経営者である、という仮面の見せ方がうなるほど上手い。観ていてひきずりこまれるのです。

この映画では恋愛は出てきません。ダニエルは女とは無縁をずっと貫く。誰かと恋仲になったりしない。再婚もしようとしない。

ひたすら、自分の憎悪と向き合ってる。そこがすごいと思うのです。

安易なお話に流れず、「憎悪」をきれいに美しく、荘厳に見せる。

そんな映画もあっていいじゃないか、というか、ありそうでなかった映画です。

 この映画の音楽はレディオ・ヘッド(通称、レディヘ)のギタリスト、ジョン・グリーンウッド。

最初は音楽らしくない「音」のような世界から、どんどん「憎悪の音楽」へと変換させています。

たまたま、レディオヘッドを聴いたので、わああああああ、この世界だあ、と音楽も素晴らしく映画にあっているのでした。

まだ、早いかもしれないけれど、この映画は今年の映画のベストに入るのではないか、と思います。

****追記*****

この映画は、年間ベストどころか人生ベストになった一本。

この映画を観た時は体調がとても悪くて、翌日病院に行ったら、胃カメラで胃潰瘍だったという。

胃潰瘍すらはねとばす映画、それがこの映画です。この映画は好きですね。

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