午後3時の初恋

午後3時の初恋

沈睡的青春/Keeping Watch

2008年9月21日 シネマート六本木にて(台湾シネマ・コレクション2008)

(2007年:台湾:92分:監督 ジョン・フェンフェン)

 タイトルからすると、韓国純愛映画のようでありますが、観てみるとちょっと変わった不思議恋物語。

とても、様々な仕掛け・・・が、ちりばめられていて、とてもかわいらしい・・・という印象が強い映画でした。

話としては、恋愛をばーんと出すわけではないのですが、淡い初恋の思い出というか、初恋忘れまじ・・・というか。

 風景からしていいですね。

主人公のチンチンという女の子(クォ・ビーティン)は、田舎の線路沿いにある時計屋さんの娘。

ダメダメな父親のかわりに店を切り盛り・・・といっても、えらく暇そう・・・

母は父を捨てて、電車に乗って出て行ってしまった・・・父が鍵をかけわすれたために、店には泥棒が入った・・・酒浸りで、金をくすねる父に、チンチンは、「家には入るなっ!外で寝ろっ!」

・・・・で、お父さんんは家の前で、段ボールなんかで、寝ているというのがおかしいです。

そして、たまにはさまれる字幕がまた、かわいいんですね。

お父さんはしょうがないわねっ!こんな店たたんで仕事に出るわ!といきまくと、お父さんはぼんやりと・・・・いつ、お母さんが帰ってくるかわからないじゃないか・・・・

すると字幕で

「お父さんは、お母さんの帰りを待っている。ではチンチンは誰を待っているのだろう?」

 チンチンはしっかりものか、というと意外とぼんや~りしている子で、(字幕で、「高校時代のあだ名は’呆け人形’」と・・・) 朝、6時に起きるために店の時計をベッドの下から、階段、一段にひとつずつ並べておいて、時計が次々鳴るのを止めながらやっと起きます・・・みたいな。

その時計がドラえもんだったり、キティちゃんだったりするのが、またかわいらしい。

 しかし、ある午後、3時の時計が打つと、店にメガネをかけた男の子(ジョゼフ・チャン)がやってきた。

水にぬれてしまった時計をなおしてほしいと・・・

次の日も午後3時になると、また、男の子が水にぬれた時計をもってくる。

修理代は300元。お札を、折り紙で小さく風船にしたもの、3つを置いていく男の子。

その「紙風船お札」が、引出いっぱいになったころ・・・男の子は、ジーハンと名乗り、チンチンの高校の同級生だったんだ・・・と打ち明ける。

でも、ぜ~~~んぜん、ジーハンのことを覚えていない、チンチン。

ジーハンは、突然、チンチンが高校生のとき、朝何をして・・・からをすらすらと答える。

ジーハンはチンチンのことをずっと見ていたのです。

 しかし、チンチンとジーハンは、少しずつ仲よくなるけれど、ジーハンには秘密がありました。

突然、別人になってしまうのです。ボーユイという男の子に豹変してしまうのです。

 実はボーユイは、精神病院にいて、人格剥離というか、別人格になってしまう・・・それがジーハンとボーユイ。

わけがわからないチンチンは、卒業アルバムからジーハンの家に電話する・・・・と、ジーハンは10年前に死んだ・・・という。どういうこと?

 謎とき・・・というより、チンチンが、どんなことがあっても、いつも「?」という顔をしているんですね。

ジーハンは、チンチンがいつも夕方、ハーモニカを吹いていた・・・今も吹いているの?と聞くけれど、言われてチンチンはハーモニカを思い出す。

字幕で

「ハーモニカから始まる青春もある」

 映画全体を通して、不思議な感覚に満ちていて、ジーハン(ボーユイ)がアイロンをかけるシーンだけは、カメラが上下逆さになったり、時計屋さんの前を電車が、通り過ぎていく風景、別人格、といってもがらっと変わるのではなく、なんとなく「考え方」が変わるという描き方、またハーモニカという小物の使い方。

そしてボーユイは、現実から逃げていたのですがそれに対峙する・・・というシビアなことも出てくるけれど、悲惨な重い空気は全くなく、ユーモラスで不思議な世界、を作り上げているところがとても個性があっていい映画ですね。

大恋愛というより、おとなしい男の子ジーハンが、やっとチンチンと手をつなぐだけで、なんとも可愛らしい、いじらしい恋物語。

 チンチンを演じたクォ・ビーティンという女の子は、モデル出身だそうですが、お人形のように可愛い顔をしていても、どこかぬけている・・・というぼんやり感、ジーハンを演じた、『花蓮の夏』のジョゼフ・チャンの人格が変わったときの雰囲気の微妙なずれ、、、とかとても、おもしろい映画でした。

ちなみに、電車の映し方もとてもきれいな鉄道映画でもあるな、、、と思います。

My Mother is a Belly Dancer マイ・マザー・イズ・ア・ベリー・ダンサー

My Mother is a Belly Dancer

2008年927日 DVD

(2006年:香港:100分:監督 リー・コンロッ)

 この映画は、香港の大明星であるアンディ・ラウがオーナーのアジア映画制作会社、Focus Filmsの映画で、過去、東京国際映画祭で上映されたときに逃し、その後、フォーカス・フィルムの特集上映でも逃していたのですが、幸い、DVDが出ていました。

フォーカス・フィルムの特徴は、アンディ・ラウが、カメオ出演しているところで、この映画にも出てきますね。

 いわゆる、素人が何かを始める・・・という題材ですが、「母」である女性たちが、ベリーダンスを習うことから始まるあれこれです。

『フラガール』の時は、フラダンスですが、若い娘さんではなく、出てくる4人の女性(主婦)は、映画では年が出てこないのですが、おそらく、20代、30代、40代、50代の女性たち。

 20代の女性は、シングル・マザーで実家に赤ちゃんと一緒に戻りますが、外で遊んでばかり。目下、新しい恋人に夢中。

 30代の女性は、4人の女の子の母ですが、夫が失業。ごみ集めの仕事をしていても人員削減でクビ。どうしたらいいかわからない。

 40代の女性は、働く必要はないものの、夫だけでなく、子供からもバカにされ、家に自分の居場所がない状態。

 50代の女性は、夫が若い娘と浮気をしている。喧嘩ばかりの毎日。夫は、養ってやってるから・・・と開き直っている。

 最初は民族舞踊の集まりだったのですが、先生がいなくなってしまい、後任の先生でーす・・・・と紹介されたのは、腹を出して、鈴をつけた腰布を腰をくねらせて鳴らす、官能的?な、不謹慎な?、踊り。もちろん世間の目も夫たちの目も「いい年をして何を」と白い目しか見せない。

でも、4人のお母さんたちは、なんだかんだいってベリーダンスを楽しむようになり、お互いの家のトラブルを支え合うようになる。

 『ロボコン』とか『フラガール』のように、最後に晴れの舞台で、気持よくすかっとするものではなく、4人の女性のそれぞれの悩みが並行して描かれていき、その隙間を埋めるのが、ベリーダンスなんですね。

 映画は、最初の5分が大事だ・・・とよく思うわけですが、この映画は、最初は市場を買い物するシーン。

それもカメラは買い物かごの中から市場を映しますから、最初は何かわからない・・・でも、少しでも安く、買い物をしようと市場を行く女たち。

そんな姿で、この映画をばっちり語ってしまっていたんだなぁ、と後になって思います。

 主婦と開き直っている人もいれば、主婦というくくり方を嫌う人もいる。

いつまでも若くなければいけない・・・という強迫観念を持っている人もいる。

この映画は、そういう固定観念をやんわりとかわしていると思います。

 日々の家事をこなすのだって大変だし、家族といつも上手くやっているわけではないところ、家の中にいるのも大変。育児だって思うようにはいかない。さらにこの映画は、ある香港の団地を舞台にしていて、団地という狭い世界の映画でもあります。

ますます、世間の目は、冷たい。

 でも、ベリーダンスの色鮮やかな衣装が、団地のコンクリートに翻る・・・そんなイメージがとても美しく斬新です。

男性たちの考え方も色々で、協力的な夫もいれば、断固として否定しかしない夫もいる。

 女だからこそできる、ベリーダンス。

決して男に媚を売るのが目的でなく、体を動かし、音楽を楽しむ・・・ということに目覚めていく女性たちは、いつでも強いわけではなく、時に弱く、時に卑屈です。

綺麗事言わない。弱音を吐くときは大いに吐き、怒る時は大いに怒る。その分、喜びも大きい。

そこのところがとても正直な映画だと思います。

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