ブタのいた教室

ブタのいた教室

2009年1月9日 新宿 武蔵野館にて

(2008年:日本:109分:監督 前田哲)

 台詞の中に、まだ若い小学校の星先生が「(食べ物を大切にしないから)いただきます、と言える子が少なくなったんですよ」というのが印象に残りました。

 映画では時代は出てこないのですが、現代というより、1990年の実話が元になっています。

去年、観たドキュメンタリー映画『いのちの食べ方』を彷彿させる、「どうやって、人間が食べるということまでいくのか」を別の面から、描いたものです。

実話っていうのが、すごいですよねぇ。というか、フィクションだったら、「わざとらしさ」が出てしまうけれど、本当にこういう授業をした先生と、悩んだ生徒たちがいた、というのがこの映画の骨の部分でしょう。

 小学校6年生の担任になった星先生(妻夫木聡)は、「子供たちに食べるということを実感させよう」ということから、4月から子ブタを学校でみんなで飼い、一年後、その肉を食べよう・・・という授業を始める。

 ところが、(まぁ、当然なのですが)子ブタは、こどもたちの「ペット」になり、いざ、卒業まで残り少ない・・・となると、「殺すのか」「食べるのか」でクラスはおおもめにもめるのです。

 よく学校ものであるのは、生徒たちが発言するのが、いかにも決められた脚本通りに順番にきちんと発言するところですが、この映画は、Pちゃん(ブタ)をどうするかで、クラスは、ざわざわざわ~としていて、星先生が何度も「はい、発言は手をあげて順番に!」と言うところがたくさんでてくるところがいいですね。

 最初はかわいい、かわいい・・・でも世話も大変だ・・・と騒いでいたものの・・・だんだん、「食べる?殺す?」本当に悩むことになる。

こんなに可愛がっていたのに殺すんですか?という子たちと、「じゃ、いつも食べている肉はなんなんだよ。Pちゃんと同じ、豚肉食べてるじゃないか」クラスはまっぷたつに割れます。

 卒業したあとも、中学になってからも飼い続ければいい、下級生に世話を引き継げばいい・・・どの案も「しっくりこない」そんなもやもやの出し方がとても上手かったですね。

下級生に引き継いだとしても、結局、判断を先延ばしにするだけなのではないか、自分たちが決められなかったことを押し付けるだけなのではないか・・・自分たちと同じ悩みを押し付けるのか・・・どんどん「言葉」がでてくる。

観ていて、うーん、自分だったらなぁ~と、考えてしまいますね。

 子供たちが本当にリアルに、笑い、怒り、ぐしゃぐしゃに泣く。ある意味、主役は子供たちで、大人たちは、傍観者です。

この映画は、2008年の東京国際映画祭で観客賞をとったのですが、妻夫木聡が「子供たちの熱意が評価されてうれしい」といったことを言っていて、食べ物に血眼になるグルメ時代・・・グルメな大人よりも、まだまだ、食事は「親が作ってくれるもの」と受け身の子供たちに観てほしい映画ですね。

いや、本当に、悩んだなぁ~~~~~・・・子供のころ、これから料理されると買ってきた魚が急に可愛そうになり、泣いていたら、祖母が「お魚は食べられるために生まれてきたから、食べてあげなきゃだめ」とさらりと言ったのを思い出します。

(ちなみに祖母は、「お墓がこわい」と言ったら、「お墓はにぎやかでいいよ~~~」、「ひげがはえてる・・・」と言うと「もう、エラクなったからひげはやしてる」と飄々とした人でした)


*****追記*****

ちょっと驚いたのですが、この映画、FILMARKSに情報がないんですね。

中国のdoubanにはちゃんと載っているのに。何故?いい映画なのに。

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