青い鳥

青い鳥

2009年1月9日 新宿 武蔵野館にて

(2008年:日本:105分:監督 中西健二)

 「僕たちは、今、罰を受けている」

重松清の原作短編「青い鳥」はこの一文から始まります。

 中学校が舞台になりますが、いじめを直接描いたものではありません。

ただ、いじめ騒動から野口という少年が自殺未遂をした・・・・そのことは世間でもマスコミでも騒がれ、学校側もその後始末に追われ、それが一段落したときに・・・・担任の教師が休職してしまったために、臨時代用教員で村内先生(阿部寛)がやってくる。

 村内先生は、カ行と濁音がつっかえる・・・吃音で上手くしゃべれない教師。

しかし、まず、したことは、転校してしまった野口の席を、教室の元のところへ戻せ・・・ということです。

誰もが、忘れようと、十分反省したのだから・・・と思っているところに、席を戻し、その席に「野口君、おはよう」と声をかける。

 物語の語り手となるのは園部(本郷奏多)ですが、野口は自殺未遂をする前に、自分を追い詰めた人物を3人遺書であげている・・・・ひとりはクラスのいじめっ子、ひとりはいじめを見ぬふりをしていた担任教師・・・と噂でわかっているけれど、3人目は誰か?それがわかっていない。

野口は、家がやっているコンビニから、あれを、これを、万引きしてこい・・・最初は冗談だったのが、だんだんエスカレートしたのを苦にして、自殺未遂をしたのですが、園部も実は、万引きをさせたひとり・・・だったのです。

だから、黒くつぶされている「3人目の名前」は自分なのではないか・・・そんな不安をいつも抱えている。

 村内先生は、「うまくしゃべれないから、たいせつなことしかしゃべりません」と寡黙な教師。

でも、毎朝、「野口君、おはよう」

 そのことで、クラスにさざ波が立つ。いばりくさっている子が「これ、罰ゲームっすか?」「じ、人生にゲ、ゲームなんてないんだ」

学校側からも、保護者からも、文句が出る。

生徒たちには何度も繰り返し、オーケーが出るまで、反省文を書かせ、野口も死に至らなかった、もう、生徒たちは「立ち直ろう」としているので何故そんなことをするのか。

 反省文を書かせ、教室には「みんな仲良く」と張り紙をして、学校にいじめがあったら入れるようにと「青い鳥BOX」を設置しても・・・・全く意味はない。

相変わらず水面下で、いじめはおきているし、無理矢理書かせた反省文など全く忘れ去られてしまう。

村内先生は、「忘れてしまうなんて、ひきょうじゃないか」・・・・野口のことで密かに心を痛めている園田は、青い鳥BOXにいたずらしか入っていないのを見て、こんなの意味ない、と思う。

そして別の教師に「人を嫌うのもいじめになるんですか?先生には嫌いな人はいないんですか?」と問う。

教師は強気に「いない」と言いますが、それは嘘です。

村内先生は、「みんな、まちがっている」と言う。

悩んだ園田は、村内先生に胸の内をぶつけるところがあります。「あいつ、何言われても笑ってたんですよ、笑ってたんですよ、かんべんしてくださいよう~これが最後っすよう~~っていつも笑ってたんですよ」

村内先生は「これは罰じゃない、責任だ」と言う。忘れていいことと、忘れてはいけないことがある。

 いじめというのが、昔からあったわけですが、反省文や張り紙という言葉でああしましょう、こうしましょう・・・と意味のないことをやっているのは、大人の社会も変わらない。

相手の顔が笑っているからといって、内心喜んでいるとは限らない。それは大人になってからのほうが顕著です。

それに気付かず、ひとりよがりに、人を傷つけることに気がつかない・・・何か起きてしまってからは、忘れようする。

 映画は音楽をほとんど使わず、学校の外の様子もあまり映しません。だから地味な映画ではあるのですが、村内先生が屋上にひとりたたずんでいるときの背中がとても大きく見える。

人が人を傷つけること、よりも、人を傷つけても忘れてまた同じことを繰り返す・・・そんな風潮に警鐘を鳴らすような映画。 

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