悲夢
dream
2009年2月10日 新宿 武蔵野館にて
(2008年:韓国:93分:監督 キム・ギドク)
韓国のキム・ギドク監督の新作は日本のオダギリ・ジョーを主演にした『悲夢』(Dream)
中国の胡蝶の夢・・・自分が蝶になった夢があまりにもあざやかだったので、もしかしたら蝶が人間になっている夢を見ているのではないか・・・という話。
この映画で、シンボリックに使われるのは蝶です。
男(オダギリ・ジョー)が見る夢・・・それが、実は全く関係ない女(イ・ナヨン)がその夢通りのことを夢遊病で行動してしまうということに気づいた2人。
別れた恋人が忘れられない男と、憎くてもう二度と会いたくないと恋人と別れたばかりの女。
男の見る夢は楽しいものではなく、元・恋人への未練だったり、復讐の妄想だったり・・・それを女がその通りに行動してしまえば・・・男は自分は何もしなくても、女を苦しめ、罪を犯し続けるということに。
2人に生活感はなく、家族も描かれない。
色鮮やかな世界。フランスで絵を学んだというキム・ギドク監督の色彩感覚は、他の誰もマネできない世界を持っています。
あまりにも悲しい夢に翻弄される2人。
眠らなければ・・・・夢を見なければ・・・と自虐的にまでなって眠らないようにする男。
医者というより、占い師のような女性が2人を見て
「2人は一緒。愛しあわなければならない。白と黒は同じ色・・・」と言って、白黒同色・・・という言葉を出します。
『うつせみ』では、出あった男女は言葉を交わさず、目を見ただけで、「連れ添う」(愛するではない)ことを一瞬にして悟るけれど、この映画の2人は反目しあいます。どちらが悪いということはないのに、困ったことにしかならない関係なのです。
好きになるとか、理由をすっとばして、それでも「白と黒は同色。2人で1人」な2人。
キム・ギドク監督の映画はいつも孤独を持っています。
何かと賛否両論に巻き込まれ、韓国映画界から引退して海外で映画を作るようになった異端児と呼ばれる孤独な人。
しかし、キム・ギドク監督の映画へのヴィジョンは実に確固たるものを持っているから、周りが何と言おうと、自分のヴィジョンを作り上げる強さにうたれますね。
日本のオダギリ・ジョーが主演、ということで、ファンの人がオダギリ・ジョー目当てできて、(よくあるパターンですが)「訳、わからない、変な映画」「観ているこっちが眠い」とぼやく声が聞こえるなかで、映画が終わっても、ひとり、席を立たずこの映画にほろほろと涙を流して泣いていた女の子が印象に残っていて、「白と黒は違う」と「違う=変」と決めつける人と、違うけれど一緒、同じだ・・・・と感じられる人の「違い」を興味深く思いました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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