アマデウス
Perter Shaffer's AMADEUS
2010年9月19 DVD
(1984年:アメリカ:158分:監督 ミロス・フォアマン)
1985年公開当時、観ているのですが、私はまだ22歳でした。
なぜ、急にDVDを買ったのかというとカルロス・サウラ監督の『ドン・ジョヴァンニ』を観たら、『アマデウス』が観たいなぁ・・とふと、思いました。
この映画は、アカデミー賞他、たくさんの賞をとった映画であり、日本でもヒットして、サリエリ症候群という言葉があったくらいでした。
22歳当時、観ても圧倒されたのですが、実に25年ぶり(四半世紀!)に観ても、十分見ごたえのあるすばらしい映画です。
1980年代というと、今ほど、特撮やCG技術はまだまだ、だった時代ですが、映画の本物志向の筋の通し方、正しい金の使い方・・・といいましょうか・・
重厚な人間ドラマ、本物志向のロケ、映像、衣装、音楽、役者、脚本、編集。
本格的なヨーロッパロケ、原題にあるようにもとは、ピーター・シェイファーの戯曲『アマデウス』で、映画の脚本もピーター・シェイファーが担当しています。
よく、衣裳係、かつら係とありますが、この映画「靴係」がいました。
このころの宮廷の男性は、皆、ヒールのある靴を履いていたんだな、、、とわかります。
どの映像を観ても重厚であり、また、そこに描かれる人間模様も実に重厚で、そうそう単純な悪者VS正義の味方ではありません。
映画は老いたサリエリが、自殺未遂をして、精神病院で、神父に話をする、という回想形式をとっています。
サリエリのモーツアルト毒殺説、というのは、死ぬまでサリエリを苦しめたそうですが、まさに、苦しみの中の告白です。
ウィーンの皇帝ヨーゼフ二世の宮廷作曲家、サリエリの前に現れた天才、モーツァルト。
どうしても、どうしても、音楽の才能を認めざるを得ないけれども、苦労して宮廷作曲家となったサリエリの、プライドが意地が許せない・・・
サリエリは、音楽にはめぐまれない環境で育ち、きっと苦労して、宮廷作家という地位と名誉を手に入れたのでしょう。
モーツァルトは、遊び好きで、下品で、生意気な若者で、今で言う「大人をこわがらない若者」なのですが、音楽となると、もう、誰にもかなわないことを何かにつけて思い知らされる。
浪費家のモーツァルトの妻が、夫に内緒で、サリエリのもとをおとずれ、なんとか曲を採用してほしい・・・と行った時に、「すべてオリジナルでコピーはありません」
という言葉を聞いて、その楽譜を見て、手直しがまったくされずに完璧な音楽を作り上げているモーツァルトの実力を目のあたりにして、サリエリが、思わず楽譜をばさっと床に落としてしまうときの、驚嘆と驚愕とほとんど恐怖に満ちた表情。
「・・・・もう、かなわない・・・勝てない・・・」と楽譜を見て悟ってしまうサリエリ。
しかし、サリエリのモーツァルトへの、嫉妬、憧れ、尊敬、軽蔑、憎しみ・・・影で、なんとか失落させようと画策しても、裏目に出るばかり。
それでも、プライドにかけてあの手この手ですがやればやるほど、身にしみる「敗北感」
そして、最後には、死の床にあっても、見事なスコアを書くモーツアルトを見る目は、感嘆と同情に他なりません。
そしてそれは、罪悪感と自己嫌悪へとつながっていく。
死んでも、お金がなくて、あんなにもてはやされたのに墓もなく、共同墓地に・・・なげこまれる・・・
にっくきモーツアルトがいなくなったから、サリエリは人生を謳歌したか・・・実はそうはいきませんでした。
サリエリは、モーツアルトに大きな影響を与え、良く言えば偉大なる存在、悪く言えばトラウマとなっている父レオポルドの死を知って、その弱みにつけこんで精神的に追い詰めようとします。それが、未完に終わった「レクイエム~鎮魂歌~」なのですが、健康をそこない、金もなく、でも父の影から離れられずにひそかに苦しんでいるモーツァルト。
サリエリの心境は実に複雑であり、かつ、現代的なテーマを持っています。
特に独創性を求められる世界・・・では、こんなことは今でも当たり前なのかもしれません。
サリエリを演じたF.マーリー・エイブラハムもすごいけれど、モーツァルト役のトム・ハルスの奇声ともいえる笑い声
「キャ、ハハハハハハハハ~~~」
あれはすごい。あの笑い声ひとつで、「モーツアルトのお人柄」がわかってしまうという見事さ。
できればこういう映画は、音響のいい映画館で、もう一度観たいところです。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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