最後の忠臣蔵

最後の忠臣蔵

2011年1月2日 TOHOシネマズ 市川コルトンプラザにて

(2011年:日本:133分:監督 杉田成道

 この映画は、「忠臣蔵」の物語ではありません。

 大石内蔵助(片岡仁左衛門)が、吉良邸へ討ち入りをした後・・・の物語。

四十七士として有名で、その後、武士として責任をとるために四十七士は、切腹覚悟で討ち入りをしました。

ところが、その中で、大石内蔵助が、ひとりの藩士、寺坂吉衛門(佐藤浩市)に、ひとり生き延びて、赤穂藩の藩士、四十七士の遺族たちに、金を渡し、面倒を見てほしい、そして、事の顛末を報告してほしいと「生き証人」になれ・・・という。

十六年かけて、すべての役目を果たした吉衛門が、ある時、出会ったのは、討ち入り直前になって、逃走して、「卑怯者」の烙印を押されたはずの、親しくしていた瀬尾孫三郎(役所広司)の変わり果てた姿でした。

 吉衛門は、親しかっただけに、臆病風に吹かれて、死ぬことを恐れて、直前になって逃走・・・というのは、ありえない、でも、何故?という長年の疑問が、浮かび瀬尾を探し出します。

なんとか、その前から逃げようとする孫三郎。今は、商人となって、骨董品を集めて回り、売っているらしい・・・・・

瀬尾が、京都で家としているのは、ゆう(安田成美)がいて、若い娘のいる家。

 瀬尾は、瀬尾で、大石内蔵助から「ある命令」を受けていたのですが、それは絶対に口外してはいけない。

世間からは、卑怯者、裏切り者・・・と思われているのを、受け入れて、自分は商人にすぎない・・・としか言わない。

 なぜだ!と問うても、口を閉ざし、頑なに本当のことを言わない。

とうとう吉衛門と孫三郎は、斬り合いになりますが、ここでも孫三郎は逃げ、隠れるのです。

どこかに隠れているはずの、孫三郎に向って、吉衛門は、「死ぬ栄誉を与えられず、十六年間、生き延びて、その苦しみはどれほどか、わかってるはず。

何故、理由を話さないのか・・・」

 この映画は、「死にきれなかった」「死ぬことを許されなかった」「生きなければならなかった」「生き延びてまで、まだまだ亡き君主の命を守らなければならない苦しさ」が2人の藩士を通して描かれます。

 自分を殺し、藩主、主君に忠義をここまでたてるのが武士・・・それが、華々しい世間に出られない日蔭者になっても、忠義をつくす、尽くしぬくのが、半端ではありません。

 京都を中心とした美しいロケ、衣装は、黒澤和子、監督は『北の国から』シリーズの杉田成道。

武士(大人)の苦渋を美しく描いた映画です。

 2010年は、時代劇が多かったのですが、ほとんどが「武士」の世界でした。

武士とは何か、武士として何をしなければならないのか・・・・「今、ここ、わたし」という見方で観てしまうと、2人の藩士のすることは、「むなしいこと」にすぎません。

滅私奉公という言葉がありますが、武士というと、戦う人・・・というイメージから、スポーツ選手の日本代表などに、安直に「サムライ・ジャパン」という’ニックネーム’をつけたりしますが、本や映画での武士の姿を観るとイメージ先行の安直さが、どうしても「品がない」としか私には思えません。

 佐藤浩市、役所広司の抑えに抑えた演技は、観るものを圧倒します。

人形浄瑠璃の近松の「曽根崎心中」が、伏線となっているように、この映画はいつも「死の予感」でいっぱいなのです。

 決して派手なシーンはないのですが、武士の走り方(上半身は固定で、足だけで走る)そんなシーンひとつ観てもこの映画のまじめさがよくわかります。

楽を選ばず、名誉を選ばず、世間から誤解されたまま、ひたすら使命を果たすために耐える、口を閉ざす・・・・その精神の強靭さと忍耐力は、ほとんど信仰に近いものがあるような気がします。

 自分を含めて、信仰とまで言えるほど、仕事や家族に忠義を貫く・・・そんな時代の違い・・・昔のことを実際見てきた人は、もういませんが、物語、映画として、「今、ここ、わたし(観客)」に媚びずに、描きたいことを骨太に描いた映画は好きですね。

0コメント

  • 1000 / 1000

更夜飯店

過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。