ラルジャン
L'ARGENT
2013年11月16日(DVD)
(1983年:フランス:84分:監督 ロベール・ブレッソン)
ラルジャンとは、ずばり「お金」という意味です。
そう、この映画は金の映画なのです。
原作はトルストイの中編小説『偽の利札』・・・つまり偽札から映画は始まる。
一枚の偽札から、冤罪の罪をきせられ、最後には悪の道へとつきすすんでしまう1人の青年。
それを情け容赦なく、ロベール・ブレッソンは85分というものすごく短い時間に凝縮させました。もう、胸、いっぱい。
感動とか共感ではなく、この映画の厳格さに対して胸がいっぱいになるのです。
娯楽も眼福としての悦楽もない。厳格さだけがある。説明を一切排除した究極の冷たい目。
この映画が直視できるか~!という試金石のような映画。
日本での配給はBOWで、2006年のBOW30映画祭で上映されたとき、予約で一杯になり、当日入場は断られた一回きりの上映で、わたしは見られませんでしたが、そんなにすごい映画なのか・・・と思っていましたが、図書館にDVDがあったとは。
BOW30映画祭はとてもいい映画を上映したのですが、映画祭につきもののトラブルが一気に集中したような形になってしまい、運営方法やチケット販売の仕方に問題ありで、通っていて心労が絶えなかった強烈な思い出があります。
この『ラルジャン』も人気のあまり、かなりもめたらしくて、こうしてDVDでじっくり観る方が今のわたしには良かったのではないか、と思います。
原作はロシアなのですが、お金にまつわる話、偽札というのは万国共通の話題ではあります。
舞台はフランスですが、1人の高校生が小遣いが足りないと友人に言うと、その友人が出してきた1000フラン札の偽札。
それを使ってしまえよ・・・からカメラ屋で小さな額縁をまんまとその偽札で買い、偽札をつかまされたカメラ屋は、それを知っていて灯油販売員で集金に来た青年に渡す。その金を使おうとした時、偽札と発覚し、灯油販売員の青年は刑務所へ。
貧しいながらもコツコツと働き、妻と幼い娘がいるのに、転落していく、1人の青年。
もとはと言えば、憎たらしい高校生が悪いし、偽札とわかって偽証をして青年を刑務所に送ったカメラ屋の主人たちも悪い。
しかし、金はめぐりめぐってブルジョワ家庭の高校生の息子はのうのうと親に守られている。それが当たり前、と映画は「元の悪」を追わない。
妻は離婚し、娘は病気で亡くなり、自殺まで考える青年。
撮影は音楽を一切つかわず、カメラもパンすることなく固定で、がっちり固めています。
極端に少ない台詞。感情を出さない演出。淡々としているようで、ぎりぎりと青年が追い詰められていく緊張感に身がすくむ。
多く出てくるのは、ドア、扉です。何度も扉がでてきて、こっちの世界とあっちの世界をまたぐ扉というものの存在感を出す。
なんの説明もなく、たたみかけるような扉、扉、扉の映像が続く。
何を映画に求めるか?を改めて問うような映画は、たとえそれが勧善懲悪の理想の甘さを描かなくてもいい訳ですが、つい、観客サービスを考えざるを得ない・・・つまり、映画の金銭的興行の良さを狙わないといけない、もどかしさに対して監督は静かな怒りの炎を燃やしているようです。
青年はついには金の為に殺人まで犯してしまう。一枚の偽札のせいで。その心理は映像でしっかり出ているから、余計な説明はいらないのですが、それでもわかりやすさからはほど遠い。
そして、何故、こんな理不尽が・・・という現実問題にきちんと対峙している世界は映画を眼福や娯楽や現実逃避としか考えていない観客には拷問だろうなぁ、と見終わってぼんやり思う。
しかし、映画は、監督はその厳格さの手を緩めない。ケン・ローチ監督の映画もそういう厳格さを持っていますが、この映画の冷たさと正確さと怒りは、誰にも追従を許さないものがあります。
決して、楽しいから観て!とは言えないですが、こうしてHPに映画の事を書いているのがばからしくなるのよね。
もう、映画は映像観ないとダメなの。つたない文章で書くということにためらいを感じてしまうよ。
そんな映画。
一生に何本、こういう映画に出会えるかなぁ・・・と思う。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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