そして父になる
2013年11月20日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて
(2013年:日本:121分:監督 是枝裕和)
カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作品であり、主演は福山雅治です。
考えてみたら福山雅治の映画やドラマって初めて観ました。
是枝監督の映画で、勧善懲悪とか、娯楽とか期待する方が無理だし、カンヌ国際映画祭ものであるから、まずます作家性の強い映画であろう、とは思っていました。
『誰も知らない』を「後味が悪くて嫌」と言った人がいるけれど、そういう人は観ない方がいいでしょう。
たとえ福山雅治のファンでも、この映画ではかっこいい、素敵なだけではない役を福山雅治は演じていますし。
何を目的で観るか、で評価わかれると思います。
一流企業の社員で、収入があって、スカイツリーの見える高層マンションに住み、いい車に乗っている野々宮(福山雅治)
映画は6歳になる息子のお受験の所から始まるのです。
しかし、突然、発覚した「産科での子ども取り違え」・・・病院の不手際で同じ誕生日の男の赤ちゃんの取り違えがあった、と宣告される。
本当の息子は群馬の電器屋の斎木(リリー・フランキー)一家で育てられているという。
習い事をさせ、しつけも厳しくし、お受験も合格、理想の子どもとして育ててきたはずなのに、実は他人の子どもだったとは。
しかも、実の息子は大家族でしつけもなにもなっていない、粗雑さばかり最初は目について、早々に双方の子どもを取り替えることになります。
冒頭では、斎木の家の粗雑さ、貧しさばかり目に行き、いっそのこと子ども2人をひきとろうとする野々宮。
しかし、斎木は「金でなんでも解決するのか」と初めて怒る。
では、6歳ながら子どもはどうか?というと子どもと一緒になって遊び、楽しませてくれ、気取りの全くない斎木の家の方が居心地はいいのです。
こんなに金かけて、しつけをして、いい学校に入れたのに・・・と一見、野々宮の家の方が恵まれているように見えますが、だんだん、親として子どもをどう育てていくかの考え方の違いに野々宮の妻(尾野真千子)ともぎくしゃくするようになる。
斎木の家は子ども3人と父親がおもちゃをいっぱい並べたお風呂でわいわいと遊びながら、狭い湯船で楽しくお風呂に入る。
野々宮の家は、子どもに自立心をということで、小さいうちから1人で広い風呂に入る、という対比のさせ方をします。
また、おもちゃが壊れると斎木はハンダで、子どもたちの目の前で修理を遊びながらやる。
野々宮はおもちゃが壊れれば、新しいのを買えばいいという。
決して、野々宮が子どもに冷たい訳ではなく、野々宮は野々宮のやり方で愛情を注いでいるのもわかります。
しかし、しつけとしては、粗野で箸の持ち方もぞんざいなのが斎木の家で、野々宮の家はきちんとしている。
さて、全く違うような2組の家族は一体どうするのか・・・
野々宮を演じた福山雅治に、斎木を演じたリリー・フランキーが、「子どもは小さい時は一緒にいる時間が大切だよ」といいます。野々宮はエリートサラリーマンで、仕事一筋で土日も休まず、家でも仕事をしている。子どもには金としつけとプレッシャーしか与えていないようなのです。
それに気がつかざるを得ない野々宮の気づきと妻たちの関係、家族の関係というものを丁寧に静かに追っていきます。
どちらが良くて、どちらが悪いともう、これは難しい問題提起をしているのですが、映画はあくまでも追い詰めない。
ぴしり、とした福山雅治と一見、ダメ人間に見えるリリー・フランキーの情の濃さ。
撮影はとても映像がクリアで綺麗です。あまり過剰な演出、演技は避け、あまり諍いの場を写さないけれど、その写さない部分の大きさってものを感じるわけですね。
血というけれど、どうなのかな・・・香港の大明星、ジャッキー・チェンは、両親が早くにオーストラリアに行ってしまい10代を芸術学院で過ごしたそうですが、「血は水よりも濃いとは思わない。学校の寮でずっと一緒だったユン・ピョウなどアクション仲間の方が
家族に思える」とドキュメンタリーで語っていましたが、つい、そんな事を思い出してしまいました。
親子という、人間の一番最初の絆をここまでクローズアップした、その意図は大変深いものがあります。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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