最強のふたり

最強のふたり

Intouchables

2013年12月12日 DVD

(2011年:フランス:113分:監督、脚本 エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ)

 この映画の難しさをクリアしているのは、とにかく主演2人の笑顔ですね。

事故で首から下が全身麻痺してしまった大富豪と、介護者として雇われるスラム街の黒人青年の交流の実話を映画化したものですが、こういう話題は、当たり障りのない美談に収めてしまうか、お涙頂戴ものの号泣映画にするか・・・かと思ったりもするのです。

しかし、この映画は冒頭いきなり、普通車に乗ってスピード違反すれすれの2人で、音楽はいきなりアース・ウィンド&ファイアーの『セプテンバー』その曲のテンポにあわせて映画のカットが切られていて感心してしまうのです。

 そして大富豪、フィリップ(フランソワ・クリュゼ)と黒人青年、ドリス(オマール・シー)の出会いになるわけですね。

フィリップは大富豪ですから、もちろん身の回りの事は最高の人材を集めている。しかし、その介護を24時間する住み込みの介護者はなかなか難しく、だからこそ給料がいい。しかし、今までの採用者は一週間ともたないという気むずかしさ。

面接をすれば、たくさんの人たちが集まる。ドリスが何故、応募者になったかというと、就職に3回不採用になった証明があれば失業手当がでるから。ドリスの目的は「不採用」になることで、だから一番自分を不採用にしそうな所をわざと選んだわけです。

 他の応募者が資格を持っているとか、障害者の役に立ちたいとか言う中で、とにかく不採用のサインくださいよ、と強引なドリスに逆に興味をひかれるフィリップ。

だんだんわかるのですが、上流階級であるフィリップの周りは、「大富豪であるフィリップ」の顔色を伺う人物ばかり。

そんな中、不適切な対応と普通思われがちな、ラフそのもののドリスがやってくる。

ドリスは、スラム街で大家族がひしめきあって暮らしている中で息苦しいところ、個室を与えられ、給料もいい待遇になりますが、持ち前の明るさとユーモアとここ大事なのですが、ちょっとした一本気な真面目さを持っているのです。

もちろん、芸術だとか、クラッシック音楽だとか、ドリスには無縁な世界で、フィリップにずばずばとわからないものはわからない、変だと思うものは、これって変だ、とまるではだかの王さまの裸を見抜く子供のよう。

 じめじめしたところは、ユーモアでもって切り返し、笑いとばし、行動が大胆で、言動もフィリップの顔色をうかがったりしない。

ドリスを演じたオマール・シーはフランスではコメディアンだそうで、身体の動きにキレがあって、わざとらしくない控えた自然さを出しています。そして、笑う時の笑顔がとてもいい。フィリップになにかあっても、深刻にならず、笑い飛ばす。

フィリップを演じたフランソワ・クリュゼは、身体が動かないという役柄ですから、目で本当に楽しそうに笑う。

対照的な2人の笑い方を丁寧に演出しているんですね。

動のドリスと静のフィリップ。しかし、ドリスは明るいだけか、というとスラム街の家のところでは解決しようのない憂鬱しかない。

そんな時の切ない目が印象的。

 からっとした明るさと風通しの良さが映画全体を貫いていますが、描いていることは人間関係の難しさであり、この演出と脚本の技はたいしたものです。

映画は、さっぱりとしているのに描いているものは重たい。そうそうできる技ではありません。

映画祭でも、興行的にも成功したというのは、若い人たちから中高年まで観客を選ばないからでしょう。

どんな年代にも通じる、真面目さと明るさの融合というものを感じるわけです。

インターネット時代になってから、映画は最初から観客層を決めてしまっているような映画が多く、わかる人にはわかるけれど、わからない人にはその有難味がさっぱりわからない、というものが当然となっている中でのオールマイティさ。

 やはりね、ただ、映画祭で評価されるだけでなく、映画祭で観客賞取るくらいのものがないと興行的には成功しないでしょう。

ひとりよがりさを排しているのだけれど、こだわりは貫く、と。

かっこいい映画作りましたねぇ、本当に。

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更夜飯店

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