スプリングー春へ

スプリングー春へ

Bahar(Spring)

2013年12月23日 DVD

(1985年:イラン:86分:監督、脚本 アボルファズル・ジャリリ)

 タイトルは春へとなっているのですが、映画は冬の森の映画です。

春というのは、イラクとの戦争にあけくれていたイランにいつ平和が戻ってくるのか、それを春は必ず来るから・・・になぞらせているようです。

ジャリリ監督の長編第二作目で、1985年の映画ですが、日本で公開になったのは2001年。

 もう、いい映画はすぐにはやってこない、船でゆっくり港につくようにのBOW配給映画のようですが、配給はビターズ・エンド。

地味と言えば地味(少年と老人がほとんどの映画)なので、爆発的な人気にはつながらないでしょうが、

この映画でジャリリ監督は1986年ファジル国際映画祭審査員特別賞、新人賞を受賞しています。

中近東の映画は、国も映画の規制に厳しいし、興行的にも難しい、映画祭でしかその評価は得られないのでしょうか。残念な話です。

 映画は、戦争で難民となってしまった少年ハメドと森番をしている一人暮らしの老人シナ、2人を描きます。

映画の冒頭、冬の雨の森の中を老人に連れられた少年が歩いて小屋に行くところを映します。

森といっても、沼地のような所でそこに降る冬の雨の冷たさが身にしみるようです。

シナ老人は、全くの他人なのに、少年の世話をかいがいしくする。

しかし、13歳くらいのハメド少年は、森の小屋での人とあまり接しない生活が、退屈で寂しくてならない。

 それをなんとかしようとはするのですが、日々の生活がやっとの森の暮らし。

戦争らしい映像は、回想でちょっと出てくるだけで、少年がどうやってこの森に来ることになったのかを振り返っていきます。

わたしが戦争(非常時)らしいとつくづく感心したのは、シナ老人は衣服などをいつも荷造りしていて、いつでも

逃げ出せるようにしているのがちらりちらりと出てくるのです。

洋服やマフラーを少年に出しますが、丁寧に包みを元に戻して、決して出しっぱなしにはしないのです。

そして防空壕がわりの地下室がある。そこにもいつでも持ち出せるように荷物がまとめられている。

 少年は、家族を、住んでいた街を恋しがりますが、あまりヒステリーは起こさないし、いつも許しのまなざしでもって

少年を見守っているシナ老人は決して、少年を叱ったりしない。

かといって、甘やかすには厳しい生活状況です。

シナ老人にできることは、少年を許すことだけだ、というのが何度も出てきて涙が出てしまう。

金を与えることもできない、いい暮らしを与えることもできない、学校も行かせられないで小屋にいろ、という。

そして、今は冬だけれども、春になれば森に花が咲いて、海には鴨が来るから見に行こうとしか言えない。

 なんといっても、少年の哀しい目と老人の許しのまなざしがいい映画。

許すってことは、お金かからないのね。でも、なかなか許すが出来ない人や事がたくさんある。

戦争は人の心の中にある、とすら思いましたね。

 ジャリリ監督は個人的には、過去、東京フィルメックスの審査委員長をされたときのユーモアたっぷりのお姿が

印象的ですが、作る映画は厳しい中にも許しがある、そんな映画を作っています。

今の時代に必要なのは、ほほえみだ、と言われた言葉通りの映画で、大笑いしなくていい、大泣きしなくていい、

ほほえんでいることの大切さをシナ老人のまなざしは雄弁に語っているのです。

****追記****

この映画は私はDVDで観たのですが、リンクを貼るデータがないので困りました。

もともと一般公開ではなく、三百人劇場での公開だったようです。

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